萌えフォビア
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萌えフォビア(もえふぉびあ)とは、「萌え絵」そのものや、「萌え」に関連する文物に対する強い嫌悪の感情として、マンガ評論家の伊藤剛によって提唱された。
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[編集] 萌えフォビアの出現
「萌え」という言葉が使われ始めるより遥か以前、オタクという言葉さえまだなかった頃から、写実性を廃し記号的に描かれたロリコン漫画を抵抗なく受け入れる一群の消費者・クリエイターと、それに対して強い抵抗を感じている一部のオタクおよび一般の知識人との間に埋めがたい溝が生じていた。
幼女に対する性犯罪などが起こるたびに、事実検証の有無やその内容に関係なくオタクに対する無差別な悪意を孕んだ差別報道が繰り返され、多くのオタクたちはバッシングと法規制に怯えながら過ごしていた。それとほぼ同じくしてオタク同士の間でも、「萌え」に抵抗のあるオタクの多くは、萌えを嗜む一群のオタクによって自分たちに累が及んでいると感じ、「萌え」を強く嫌悪してオタク同士で対立するかのような状況に発展する。
やがて、様々なメディアミックス戦略により「(セクシャル・ハラスメント的な“お色気路線”としての)萌え」の流行が日本の経済面・文化面に無視できない影響力を持つに及ぶが、その誤った認識や使用法の違いに関係なく「萌え」が市民権を得たと感じて勢いづくマスメディアや萌えオタクに対して、「萌え」に強い抵抗を持つオタクと一般の知識人の間で(「萌え=お色気路線=性的で卑しいもの」という誤解が解けない状態のまま)自らの内面の嫌悪感情、すなわち萌えフォビアに基づいて彼らを否定・抑圧しようとする言論もまた高まりを見せることになる。
また、その対立の中では、死活的不安を持っている萌えオタクから感情的な反論がなされてしまうこともあるため、その理論性を欠いた反論を受けた(萌えフォビアというほどではない)オタクが強度の不信感を感じ、それが昨今の業界における「萌え=お色気路線」という誤った認識に基づいたメディア戦略を偏重する姿勢に対する反感とも相まって、強固な萌えフォビアに転向してしまうという、憎悪の増幅再生産的現象もまま見受けられる。
これにより、「萌え作品」のクリエイターと消費者は、「現実の売買春、実写のポルノ、また写実的なポルノ絵であるなら、条件こそあれ認められるが、萌えキャラクターの性的な表現は、気持ち悪いから決して認められない(伊藤剛氏の記述より抜粋)」のみならず何とかして規制したい、という理不尽な憎悪に基づいた「オタク弾圧」に直面することになる。そして、最近ではこの弾圧の矛先を“萌えオタク”に集中させるための情報操作も繰り返されるようになる。
「萌え」がそう名づけられる以前より存在していたように、「萌えに抵抗する感情」もまた萌えと軌を一にして出現し、育っていったものと言える。
[編集] 萌えフォビアへの言及
2001年9月16日、シンポジウム「網状言論F ~ポスト・エヴァンゲリオンの時代~」[1]が開催され、ここでパネリストとして登壇した伊藤剛は「Pity,Sympathy,and People discussing Me」[2]で萌えフォビアに言及した。この時点では、オタク第一世代が動物化に抵抗するシニシズム(学術的には「自らが内包する感情の否定」だが、伊藤剛は「萌えている自分からの逃避」と表現)として萌えフォビアを定義した。
また同シンポジウムにおいて、オタク第一世代を自認する竹熊健太郎は、伊藤の述べた萌えフォビアを援用して「本気でオタクをしてしまう」新世代のオタクに対するオタク第一世代の距離感を表現した。
上記シンポジウムを書籍化した「網状言論F改」(共著)によって書籍上でも言及された。
月刊シニアビジネスマーケットの編集長、玉置泰史のブログ「愛する子どもの守り方」(既に閉鎖)の2005年3月5日のエントリにおいて、典型的な萌えフォビア言論が展開された。玉置は第9回ヴェネチアビエンナーレ建築展日本館展示「おたく:人格=空間=都市」[3](あるいはその凱旋展)のポスター[4][5]を見たときの嫌悪を、自己の感情としてではなく社会への悪影響という文脈で語った。
それを好例として伊藤が再び萌えフォビアを、今度はオタク第一世代ではなく一般人の萌えへの嫌悪として考察した[6]。ここでは萌えへの攻撃の理由が理屈ではなく感情であるがゆえに、没論理的になってしまう点が指摘された。
玉置のブログには、「敵意のみによって衝き動かされた」とされる内容について問いかけるトラックバックやコメント(真摯なものも荒らし的なものも)が寄せられたが、真摯な問いかけに対してさえ一切応えることなく、まず男性からのトラックバックを拒否することを宣言し、次いでブログタイトルを変更した後、玉置はブログを閉鎖した。
竹熊健太郎のブログ「たけくまメモ」の2006年2月22日から続く一連のエントリ、「俺と『萌え』」[7]において、さらに追究された。
[編集] 2つの意味
この言葉が登場した当初は、主として第一世代のオタクによる「『萌え』がみっともないが故のシニカルな態度、あるいは『萌えている私』という自己認識からの逃避」という意味で用いられた文献もあるが、後に主体をオタクに限定しない、一般人の「キャラを用いた性的な表現への拒絶」という意味でも用いられるようになった。この2つの意味は異なっていることに注意を要する。
[編集] 萌えフォビアの発生要因と言論の特徴
- 「萌え」そのものに対する主観的な嫌悪感情からの言葉であることには触れず、あるいは目を逸らしながら、共通して「社会の問題」という結論に導こうとする傾向が強い。
- 伊藤はこの嫌悪感情を、「萌え絵(伊藤の理論における「“キャラ”という表現制度」)が、『文字/絵』『大人/子供』という、近代の大きな分割の枠組みを2つも侵犯していることに起因する」と指摘している。“キャラ”については伊藤の著書「テヅカ・イズ・デッド」に詳しく記載されている。
- このように純粋に印象からもたらされる嫌悪感情でしかないとすると、「社会の問題」への飛躍は無理のある牽強付会になる可能性も高く、慎重な判断と対応が要求される。
- 多くのメディアが「萌え=(セクシャル・ハラスメント的な)お色気路線」という誤った認識で「萌え」を扱い続けていることにより「萌え=性的で卑しいもの」という誤解を抱いて(招いて)いることに気が付かないまま、単純に「“萌え”はセクハラだ」、「“萌え”は性犯罪を助長する」と主張、特にペドフィリアと萌えオタクを同一視する論法がとられる場合が多い。
- その根拠として「萌え絵」が一般的に(顔だけでなく、身体的特徴も含めて)幼く見えるという指摘が挙げられているが、これは日本のみならず世界中でよく言及される認識である。日本国外では、幼く見えるという「見た目・印象」だけで児童ポルノに類するものとされることがある。
- キャラクターの「見た目・印象」については、二十代の日本人女性が高校生の制服のコスプレをしたアダルトビデオに対して、アメリカ等からは「日本人は顔が幼いから児童ポルノ(未成年)に見える」と言った指摘がなされた事もある。見た目は確かに重要だが、顔立ちが子供のころから大人にかけて大きく変化する人種の人々からすると日本人は成人していても若ければロリータでしかなく、萌え絵に対する世間の評価も同じようなものだと言える。
- 描かれたポルノ絵と実際のポルノを同一視する。ここに「萌え」が入るとそれが顕著になり、萌え絵で描かれた性描写と児童ポルノを同一視する、あるいはその2つを峻別せず扱おうとする。あらゆる萌え絵が実写とは明確に区別できることを考えれば、そこには論理の飛躍が存在している。
- しかし、一方で「萌え=お色気路線」という認識を積極的に受容する萌えオタクも多く存在し、彼らが業界の同路線を支えながら、「萌え市場」と呼ばれるマーケットを中心に経済の発展に貢献しつつある点について留意する必要もある。
- こういった言論に対して、萌え絵はアニメ・マンガ・ゲームなど広範多岐にわたって発展してきた中で、人間を魅力的に描こうとしたときの必然的記号の集大成としてマニュアル化されたもので、直截的なペドフィルとは有りようが全く違うという反論がある。逆に現実の人間においても目が大きい方が魅力的とされるなど、同様の考え方は多々あることも指摘されている。
- ただし、アダルトゲームの中には、18歳未満の未成年女児との性行為や、レイプなどの性的・暴力的行為を題材にした「現実では“犯罪”となる、危険で非現実的な願望」を描いた作品も含まれているため、クリエイターやメーカー、メディアの側にも倫理的な問題があることは否定できない。ただし、これらの中には人気が高い(とくに高校などの学校を舞台にした「学園モノ」はジャンルそのものの人気が高い)作品も多く、一部の嫌悪感情のみで市場から締め出すことは基本的に不可能なため、「萌え要素」の積極活用のみに念頭を置いた露骨なマーケティング方法に対する問題も指摘されている。
- また精神科医の斉藤環は萌えオタクのセクシュアリティがペドフィルから程遠いことを繰り返し指摘している。
- オタクの中でも特に「萌え」に無関心な広義の(つまり「萌え」関連以外の一部の)オタクにより、「萌えオタクはパージしてしまえ」というような、萌えの排除を模索する主張(例 切込隊長の主張[8])も見られる。
- 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件直後のオタク全体が憎悪される時代から時を経て、「萌え」にターゲットが絞られたことで、元々萌えや萌えオタクに対して反感を持つ立場だったにもかかわらず、オタク全般を標的にした無差別な弾圧が繰り返されたことで、萌えオタクとの間に一線を引いて弾圧を回避しようとするようになったもの。言動は一般人の規制論議と同様だが、場合によっては「オタクとしての存在意義を自ら否定しかねない」ため、より条件が細かかったり、またはより極端だったりすることがある。
- 萌えを規制しようとするとき、その根拠は必ず「公序良俗・少年健全育成への悪影響」、「性犯罪の誘発要因」、「セクシャル・ハラスメントの正当化」という議論に帰着する。
- これは、ほぼ全ての萌え絵にはモデルさえもいないので、萌え絵をどこまで分析しても、そこには犠牲となる者、被害者と呼べるような者はおらず(まれに水着グラビアなどからのトレス事例が発見されることはあるが、写実的な絵は萌えない(特に顔)と感じる者が大半であるため、たとえトレスであってさえも写実的な絵にはならず、個人の特定は困難なものになる)、そのために二次元の萌え絵を規制しようにも法益がないためである。
- 「悪影響」「犯罪誘発」というものを規制の根拠にすると、強いて言うなら漠然とした社会的法益の侵害を防ぐための規制、ということになるが、これは「被害者なき犯罪」の一類型となり、司法の判断に大きく依存するものにならざるを得ない。
- まじめな議論の挿絵や例示に萌え要素が含まれているだけで、「ふざけている」「不適当だ」などと過剰に反応する、または無自覚に相手(萌え絵を例示した者)の人格を見下す、などの傾向も見られる。