葛根廟事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
葛根廟事件(かっこんびょうじけん)とは、1945年(昭和二十年)8月14日、満州国(中国東北部)の葛根廟において非武装の日本人避難民約1000人がソ連軍によって攻撃を受けた事件である。
[編集] 事件の経過
1945年(昭和20年)8月9日未明、ソ連は日ソ中立条約を破棄し日本に宣戦を布告。満州国(中国東北部)、朝鮮半島、樺太(サハリン)などに侵攻を開始。
8月10日、11日満州国の首都新京(長春)北西部の都市興安を爆撃、興安の都市機能をほぼ破壊した。11日午後4時、興安在住の日本人約千数百人が近郊のウラハタに集結、興安総省参事官浅野良三の指揮の下、行動隊が組織された。
行動隊の当初の目的地は100キロ離れたジャライトキであったが、12日からの降雨や興安国軍による馬車の略奪などにより計画を変更。40キロ離れた葛根廟を経由し列車で白城子へ避難、そして白城子で日本軍の保護を受け列車で更に南下するという計画を立て、徒歩で移動を開始した。
8月14日午前11時40分頃、行動隊が葛根廟丘陵付近まで到達したところで、戦闘中のソ連軍戦車部隊が行動隊に対し攻撃を開始、間もなく行動隊は壊滅し、非武装の女性、子供を含む1000人以上が死傷した。
さらに行動隊の多数の子供が中国人に保護され、中国残留孤児となっていたことが後の調査で判明している。
この事件は戦後、第二次世界大戦におけるソ連の戦争犯罪として取り上げられ、主に日本の文化人の間で議論を呼んでいる。