董承
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董承(とうしょう、? - 200年)は、中国、後漢末の政治家。
後漢王朝の朝臣で車騎将軍を務めた。献帝の舅(国舅)であったことから献帝に重用され、厚く信任を受けた。また彼の娘が献帝の側室の董貴妃 であった。かつて何進によって自殺に追い詰められた大将軍の董重は彼の兄とも従兄ともいわれている。
董承は献帝の祖母である董太后の親族(甥)であり、献帝にとっては数少ない親族でもあった。やがて献帝が郭汜らの専横に嫌気が差して長安から脱出すると、献帝と行動を共にし、楊奉や張楊らと共に献帝を郭氾らの追撃から守った。
後に献帝は曹操の庇護を受けるようになったが、曹操に傀儡として扱われたため、それを見かねた董承は200年に同志を集めてクーデターを起こそうとした。しかし、事前に事が発覚し、董承一族やその一派は捕らえられて処刑されてしまったのである。彼の娘の董貴妃も妊娠中だったが、それでも曹操は容赦なく彼女を扼殺したという。
三国志演義では後に、病床の床に伏した曹操を、亡霊となった董承が苦しめたという記述が残っている。