三国志演義
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『三国志演義』(さんごくしえんぎ)は、明の時代に書かれた中国の通俗歴史小説。四大奇書の一つに数えられる。
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[編集] 概要
施耐庵あるいは羅貫中がそれまで行われてきた三国時代(220年 - 280年)を題材とする講談を集大成して創作されたとされる。吉川幸次郎は、明・清の中国に於いてもっとも広く読まれた書物であろうとしており、版本も多数あるが、多く流布している版本は清の毛宗崗が校訂・加筆を行った「毛本」である。
[編集] 日本での誤解
日本では通例『三国志演義』と呼び習わされるが、中国では『三国演義』あるいは『三国志通俗演義』と呼ばれる。
日本ではしばしば単に「三国志」と呼ばれるが、『三国志演義』は、講談で語られてきた物語と西晋の陳寿によって書かれた歴史書『三国志』(のちに清によって公認された正史である二十四史のひとつ)などの歴史書の伝える逸話を綜合してつくられた小説作品で、歴史書の『三国志』とは異なる作品であるが、渡辺精一によれば既に清代に『三国志演義』を『三国志』と呼称している例があるといい、混乱を招いた。本来『三国志』と呼ばれてきた陳寿の作品との混同を避けるため、日本の愛好家の間では「演義」と「正史」という呼び分けが行われることもある。詳細は「三国志」の記事を参照されたい。
[編集] 作者と評価
『三国志演義』の作者は羅貫中である、と言われることが多いが、実際のところは定かではなく、施耐庵あるいは羅貫中の手によるものと想定されているのみである。また、そもそも演義は宋・元の時代以前から積み重ねられてきた説話などの講談や、講談をもとにして形作られた物語を集大成した性格も有しており、無数の講釈師や、その講釈師の講談を聞いていた客(客の反応によって講釈師は内容を磨いていったりする)の影響により物語が形作られたものである。したがって、そもそも西欧の例えば小説の「作者」のような人物がいる、と想定して作者を断言することはやや難がある。また、『三国志演義』として成立して以降も、多数の版本が出現し、内容の相違もあるため、羅貫中本人がどこまで現行本に携わったのかは謎である。
しかし、『三国志演義』の原型の一つとされる『全相三国志平話』(全ページ絵入り三国志物語)に比べると、荒唐無稽な要素が減り、『三国志』その他の歴史書の記述を敷衍した上での創作に方向転換している。また、蜀漢中心のストーリーはそのままだが、魏や呉の記述が増え、呉の滅亡まで書ききっている。また張飛を主人公とする武将中心の『全相三国志平話』に比べ、諸葛亮など、文官の活躍も織り込み、講談では荒唐無稽だった時代考証も歴史書によって訂正され、知識人でも違和感なく読むことが出来る水準に達した。従って、『三国志演義』の作者が誰であれ、従来の講談に比べると、格段に完成度を高めた内容にしたということはできる。
このため、『三国志演義』は中国の小説では珍しく、知識人の読み物として認められた存在であり、しばしば蔵書目録に『水滸伝』とならんで掲載されていることが指摘されている。また、明・清代には武官向けに兵法書として読まれており、実際李自成・洪秀全・毛沢東は兵法の参考にしていたという。特に毛沢東は『三国志演義』を子供の頃から愛読し、人を評価する時でも「楊尚昆は魏延だ」と評したり「人民は阿斗になってはいけない」と発言するなど、『三国志演義』の登場人物を引き合いに出していたという。中国語が読めない満洲人の武官向けに満洲語訳『三国志演義』まで存在していた。
[編集] 作品内の人物像
『三国志演義』は劉備を主人公として描いているため、蜀の人々は多く誇張されて描かれ、逆に魏の人々は曹操が悪役とされているほか、曹真や曹純、夏侯尚など、実際は有能な人物であったのにも関わらず無能のように描かれる人物も多く、特に諸葛亮と関羽、趙雲に対する誇張が著しい。
[編集] 作品の影響
数多ある『三国志』の物語は基本的にこの『三国志演義』を元としているものが多い。吉川英治が執筆した小説『三国志』、これを元にして作られた横山光輝の漫画『三国志』、コーエーが発売した『三國志』・『真・三國無双』・『三國志英傑伝』・『三國志孔明伝』・『三國志曹操伝』などと言ったゲームが挙げられる。
中国中央電視台で製作された『三国演義』は制作費100億円、エキストラ10万人、製作年数4年、全84話にも渡る大作で、黄巾の乱から晋の成立まで描かれている。
また、演義とは結末が大きく異なる『反三国志』(周大荒・著)、「ネオ三国志」を称する『蒼天航路』なども、やはり、『三国志演義』の影響を受けていることは否定できない。かわぐちかいじの「太陽の黙示録」も『三国志演義』の影響を受けている部分が多く、その登場人物の名前は『三国志演義』の人物名に由来するものが多い。