薩州家
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島津宗家8代当主である島津久豊の次子、用久(好久)よりはじまる。「薩州家」は用久が薩摩守を称したことに由来する。2代当主国久の死後に起こった御家騒動は、他の分家をも巻き込んだ騒乱となった。一時は半独立状態にあったが、5代当主実久は島津宗家当主の座を巡る争いで同じく分家の伊作家に敗北。以後は島津宗家を継いだ伊作家に従う。7代当主忠辰が朝鮮出兵に際し豊臣秀吉の怒りを買い改易。忠辰が朝鮮在陣中に病死したため、薩州家はその所領を失った。
[編集] 歴代当主
- 島津用久(1401‐1459)…子:国久(2代)、延久、女(島津宗家10代当主島津立久の室)
- 島津国久(1441‐1499)…子:成久(重久、3代)、秀久
- 島津成久(生没年不詳)…子:忠興(4代)、女(伊作家島津忠良の室)
- 島津忠興(生没年不詳)…子:女(島津宗家14代当主島津勝久の室)、実久(5代)、忠兼
- 島津実久(1511‐1553)…子:義虎(6代)
- 島津義虎(1536‐1585)…子:忠辰(7代)、忠隣(島津歳久の養子に)、忠清、忠豊
- 島津忠辰(1565‐1593)