藤原為光
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藤原 為光(ふじわら の ためみつ、天慶5年(942年)- 正暦3年6月16日(992年7月23日))は、平安時代中期の公家。藤原師輔の九男。母は醍醐天皇の皇女雅子内親王。子に誠信、斉信、道信らがある。諡は恒徳公。後一条太政大臣、法住寺殿とも称される。
侍従・左中弁・蔵人頭などを歴任した後、970年(天禄元年)参議となった。その後、権中納言・中納言・大納言と順調に昇進し、986年(寛和2年)右大臣に任じられて、翌987年(寛和3年)には従一位に叙せられた。991年(正暦2年)太政大臣に任じられたが、翌992年(正暦3年)に没してしまった。死後、正一位が贈られ、相模国を封じられた。邸宅の一条院は姪の藤原詮子に相続された。
法住寺を建立したことでも知られる。日記に『法住寺相国記』がある。