蘇軾
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蘇軾(そしょく 景佑3年12月19日(1037年1月8日) - 建中靖国元年7月28日(1101年8月24日)は中国北宋代の政治家、詩人、書家。号は東坡居士。蘇東坡(そとうば)と呼ばれることが多い。字は子瞻(しせん)。唐宋八大家の一人。蘇洵の長子であり、弟の蘇轍とともにそれぞれ大蘇、小蘇とも称される。
1057年に進士となり、地方官を歴任後、英宗の時に中央に入る。しかし次代の神宗期に王安石の新法に反対して左遷され、再び地方官を歴任する。更に1079年に詩文で政治を誹謗したと讒言を受け、投獄された後に黄州(湖北省黄州区)へ左遷となった。左遷先の土地を東坡と名づけて、自ら東坡居士と名乗った。この時に三国時代の古戦場赤壁で『赤壁賦』(二つあるので前赤壁賦と後赤壁賦とも呼ばれる。)を作った。しかし蘇軾が行った赤壁は古戦場の赤壁ではなく、近くの別の場所であった。そのために現在では蘇軾が赤壁賦を詠んだ所は文赤壁、戦場の方を武赤壁と呼んでいる。
1085年に神宗が死去し、哲宗が即位し、旧法派が復権すると蘇軾も中央に復帰する事が出来た。だが、新法を全て廃止する事に躍起になる宰相・司馬光に対して、新法でも募役法のように理に適った法律は存続させるべきであると主張して司馬光と激しく論争した事から旧法派の内部でも孤立する。更に1094年に再び新法派が力を持ち、蘇軾は再び左遷され、海南島にまで至り、常州で病死した。
蘇軾は北宋代最高の詩人とされ、その詩は『蘇東坡全集』に纏められている。
なお余談ではあるが、現在中華料理のポピュラーな品目である東坡肉(トンポウロウ)は、彼が黄州へ左遷させられた際に豚肉料理について詠じた詩からつけられたという(自ら料理したとも言われる)。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 佐伯富『蘇東坡全集索引』(1958年)