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裴世清(はいせいせい、生没年不明)は、隋の煬帝の使者として来日した人物、7世紀前半に活躍した中国の官僚。
倭国(日本)は607年(推古15年・大業3年)に小野妹子らを第2回遣隋使として派遣した。煬帝は倭国の国書に立腹したが、翌608年、文林郎(日本書紀では「鴻臚寺の掌客」)裴世清をその答礼使として倭国に派遣、裴世清は小野妹子らと百済を経由して来日した。
『隋書』倭国伝では裴清と記述されている(太宗(唐朝の二代目皇帝、李世民)の諱が世民であることから、世の字を避諱したもの)。
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