西角友宏
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西角 友宏(にしかど ともひろ 1944年 - )は、日本のゲーム開発者。大ブームを起こしたスペースインベーダーの生みの親として知られる。
[編集] 経歴
大阪府生まれ。東京電機大学通信工学卒業後、音響メーカーに就職。後に1969年にタイトーの子会社であるパシフィック工業に入社、さらにタイトーに移籍している。
元々エレメカのエンジニアを勤めていたが、「ポン」やCPUの存在を知った時「これからはゲームの度に部品を全て作り直すのでなく、集積回路のデータを書き換えるだけで、ゲームバランスの調整や新ゲームの作成が楽になる」というメリットを見抜いており、日本のアーケードビデオゲーム黎明期において、後述する傑作を何作も手がけた。しかし活躍した時期が大変早い為、一般のゲームマニアにはインベーダー程度しか知られていないのが実情である。
1996年退社、非常勤技術顧問を2年間勤めると共に、有限会社ドリームスを設立。2007年現在ドリームスの代表である。
[編集] 主なデザインゲーム
- スカイファイターII(1971年)
- これはビデオゲームでなくエレメカ。幻灯機機能を使った、映える青空の表現が見事だった。
- スピードレース(1974年)
- エレメカの「スーパーロードセブン」をビデオゲーム化した、日本初のレースゲーム。ビデオゲームとしてはタイトー初のヒット作となり、ピンボール時代から関係が深かったミッドウェイ社(詳細はピンボールを参照)にもライセンス生産、その後もカラー化されるなど何度もマイナーチェンジされ、「ポールポジション」が登場するまでレースゲームの代表格となった。西角はインベーダーより、こちらが気に入っているという。
- スペースインベーダー(1978年)
- 詳細はリンクを参照。なおインベーダーブーム後のROM交換による新作ゲームも、西角が担当している。
後者3ゲームは今もタイトーで保有されており、かつてはビデオゲームの歴史展示系イベントでの展示の他、Heyや横濱はじめて物語にも設置された事があった。
[編集] 外部リンク
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