許世楷
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許 世楷(こー・せかい、Koh Sekai、1934年7月7日 - )は台湾人の法学者、台北駐日経済文化代表処代表、津田塾大学名誉教授、台湾亜東関係協会理事。台湾独立運動の中心的人物の1人。
台湾彰化市生まれ。1957年に国立台湾大学卒業後、日本に留学し早稲田大学、東京大学で学ぶ。その後、津田塾大学で助教授、教授として約30年の教員生活を送った。
一方、日本留学直後から台湾独立運動に身を投じたため、台湾政府により旅券は剥奪、在外反政府分子としてブラックリストにその名が掲載された結果、約30年の間、日本で事実上の亡命生活を余儀なくされる。1989年には台湾の月刊誌『自由時代』に、「台湾共和国憲法草案」を寄稿。このため同誌は発禁処分を受け、発行人の鄭南榕(てい・なんよう)は反乱罪に問われるも、連行される事を拒否して抗議の焼身自殺を遂げるという事態に発展した。
1992年の台湾民主化によりブラックリストが解除となり帰国。台湾総統府人権諮問小組委員に就任する。2004年7月5日に、台湾の駐日代表である台北駐日経済文化代表処代表に就任した。
[編集] 台湾駐日代表就任以降の主な活動
日本政府に対して、台湾人観光客の査証(ビザ)免除を求め、各方面に働きかけていたが、2005年の愛知万博を機に、観光目的の台湾人の短期滞在(90日以内)の場合、万博開催中(3月25日~9月25日)限定ながら査証を免除する法案が、2005年2月9日国会を通過した。続いて2005年8月5日には、「出入国管理及び難民認定法の特例法案」が国会で成立(8月15日公布)、台湾人観光客の査証免除の恒久化が実現した。
[編集] 著作
- 許世楷、盧千惠『台湾は台湾人の国 : 天になるごとく、地にもなさせたまえ』はまの出版、2005年。
- 許世楷、原彬久、南塚信吾(編著)『国際関係論基礎研究』福村出版、1976年。
[編集] 関連項目
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