諸葛セイ
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諸葛靚(しょかつ せい 生没年不詳 靚は青へんに見)は字は仲思と言い、中国三国時代に魏・呉に仕えた武将。諸葛誕の末子であり、諸葛頤・諸葛恢の父である。諸葛瑾・諸葛亮とは同族にあたる。
257年に諸葛誕が、司馬昭に対して反乱を起こしたため、呉の救援を得るために人質として呉にくだる。諸葛誕の乱が鎮圧された後は、そのまま呉に残り、呉の官職を歴任し、右将軍になった。
その後、280年呉が、晋によって滅ぼされると、司馬炎は、昔のよしみもあり彼を大司馬に取り立てようとしたが固持して受け入れず、そのまま隠遁してしまった。 晋への恨みを忘れず、けっして晋の都である洛陽のある方向を向かなかったと言う。