谷木恭平
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谷木 恭平 (たにき きょうへい、1945年11月12日 - ) は、北海道出身の元プロ野球選手(外野手)。
[編集] 来歴・人物
北海高時代、甲子園に3回出場。特に準優勝した1963年の選抜では、 1試合5盗塁の大会記録を含む9盗塁をマーク。快速選手として大いに注目される。 卒業後立教大学に進み、1965年秋のリーグ戦では首位打者を獲得。 その後新日鉄室蘭を経て、1973年ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団。既に28歳で2人の子持ちであった。 年齢的にややピークを過ぎていた感があったものの、入団2年目の1974年には2番センターに定着、 2本のサヨナラ安打を放つなど、中日の20年ぶりのリーグ優勝に攻守にわたって貢献した。
やや中腰の構えからのしぶとい打撃、守備や走塁のカンの良さには定評があり、マーチン・井上弘昭・大島康徳・藤波行雄・田尾安志など、 リーグ一の布陣と評された70年代半ば~後半の中日外野陣の一翼を担った。1980年の引退後は、郷里で飲食業を営む傍らスカウトを務め、 1994~95年には中日の1軍外野守備走塁コーチも務めた。
[編集] プロフィール
- 投打 左投左打
- 出身地 北海道
- 守備位置 外野手
- 背番号 9(1973~80年)
- 球歴 北海高 - 立大 - 新日鉄室蘭 - 中日(1973D3位~80年)
[編集] 通算成績
- 737試合 1377打数355安打 21本塁打 93打点 48盗塁 222三振 149四死球 打率.258