賀茂保憲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
賀茂 保憲(かもの やすのり、917年 - 977年)は、陰陽家。陰陽頭。賀茂忠行の長男。安倍晴明の師とも、また彼の兄弟子とも言われる。弟には内記上人こと慶滋保胤、娘に賀茂保憲女がいる。
父である賀茂忠行と同じく陰陽道の達人で、確証はないが陰陽頭を歴任。また暦道を究めて、著書「暦林」を記す。「今昔物語集」によれば、幼少時に父が祓いを依頼されたので付いていき、その祓いの最中に供物に無数の鬼が集っているのを見て、父・忠行に告げたという。忠行は、我が子が修行を積まなくても見鬼(鬼を見る能力)の才を身に着けていることに驚きいり、以後陰陽道を指南したという。陰陽頭・天文博士・暦博士・主計頭・穀倉院別当を歴任、従四位に叙せられた。彼は父よりも官位が上になったことに申し訳なさを感じ、父・忠行の昇進を願い出たこともある。彼の残した「暦林」は現代においてもいわゆる旧暦を読む際の重要な資料となっており、後の暦法の発展は彼がいなければなかった事であるといえる。
陰陽道の暦道をその子の賀茂光栄に継がせて、天文道を安倍晴明に継がせて、これから陰陽道宗家を二分にする事が有名である。『続古事談』によれば、安倍晴明と賀茂光栄がどちらが師匠の賀茂保憲に気重されたについての論争をしたという。