辰馬財閥
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辰馬財閥(たつうまざいばつ)は、1662年、江戸時代中期以降、灘西宮の銘酒「白鹿」の醸造元である辰馬家当主、辰屋吉左衛門が初代辰屋(当時の屋号)で酒造業を創業したことにはじめる。その後、海漕業・金融業などに拡大し財閥を形成していった。
辰馬家は、自家の醸造酒を江戸に送るため自ら多くの樽廻船を擁し、往路には自家醸造の清酒を、復路には各地産の米・雑貨などを積んで帰港していた。辰馬家は明治中期には醸造高日本一を誇るまでになったが、酒造業の発展とともに海運業も拡大して、明治18年には「辰馬回漕店 」を設立し、又海上火災保険の代理店業務にも進出した。
その後、明治42年に「辰馬汽船合資会社」が設立され、辰馬家から海運部門が分離・独立し、大正5年には「辰馬汽船株式会社 」に改組、本格的に海運業に参画した。この「辰馬汽船」が、のちの新日本汽船、山下新日本汽船、ナビックスラインとなり、平成11年4月商船三井と合併することになる。
一方、火災海上保険部門は、大正8年「辰馬海上火災保険」として分離・独立し、その後「興亜火災海上保険」を経て、現在 の「日本興亜損害保険」となっている。