那須信吾
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那須 信吾(なす しんご、文政12年11月11日(1829年12月6日) - 文久3年9月24日(1863年11月5日))は、幕末期の土佐藩の郷士。名は虎吉。真吾。重民。別名に石原武之進。
土佐藩の家老を務める浜田光章の三男として生まれる。幼くして父を失ったため、郷士・那須俊平の娘婿となる。田中光顕の叔父にあたる。坂本竜馬に深く傾倒し、1861年に土佐勤王党に加わった。1862年には安岡嘉助や大石団蔵らと共に尊王を無視して藩政改革、佐幕を唱える吉田東洋を暗殺した上で脱藩し、長州藩に逃亡する。
1863年、天誅組の反乱に参加し、軍監を務めるが、鷲家村にて狙撃されて戦死した。享年35。
武勇に優れた怪力の持ち主で、走ることにおいては馬より速いとまで噂されたという。身長は六尺(約180cm)近くあり、「天狗様」と称されたという。
※テレビ和歌山「@あっと!テレわか」の司会者に同姓同名の那須信吾もいる。