酒井忠解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
酒井 忠解(さかい ただとき、1643年(寛永20年) - 1668年12月31日(寛文8年11月28日)は江戸時代前期の大名。出羽国大山藩初代藩主。庄内藩主酒井忠勝の七男。母は武山勘左衛門の娘・おくめ。幼名は杢之助。官位は従五位下、備中守。
正保4年(1647年)、父・忠勝が没し、その遺領のうち1万石を分与され、大山藩を形成する。万治2年(1659年)、従五位下・備中守に叙任される。寛文5年(1665年)、平戸藩主松浦鎮信の娘と婚約。しかし夫婦生活得ぬまま、寛文8年(1668年)、鷹狩り中に腸チフスにより急逝。享年26。子女が無かったため、翌寛文9年(1669年)に大山藩は廃藩となり、代官の管轄地となった。
[編集] 関連項目
|
|
|