酒井氏
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酒井氏(さかいし)は、三河国の在地領主で、後に松平氏・徳川氏譜代(親藩格)の家柄の一族である。江戸時代には譜代大名家となった。
徳川幕府の古記録である柳営秘鑑では、三河安祥之七御普代、酒井左衛門尉、元来御普代上座、とある。
また、葵之御紋来由の項目に、坂伊ノ卿より為加勢来りし、とあり、出身地の酒井郷;坂井郷は、もと坂伊と呼んだと見える。
同じく、柳営秘鑑には、徳川家の三つ葉葵の家紋が、酒井氏より由来することが詳細に記載されている。
御当家に用させた満ふ所之物之内ニ三ッ葵ノ葉の御紋ハ 御当家御譲祖徳川信光公の御時 文明十一巳亥七月十五日参州安祥城攻之時 今の酒井等の祖酒井五郎親清、(中略)盃に葵の葉三ツ鼎のごとくならへ (中略)信光公大ひ尓御喜悦尓て今度の敵を討事 掌を指がごとし。既尓当家の吉瑞となる遍きな連ハ 只今の三葵の葉を以て自分ハ汝が家能紋とせよ被傳出尓付て酒井親清畏て酒井能家の紋とせり。必定、此軍尓御勝利なり。
其後信光公の御孫徳川次郎三郎長親公の御時 文亀元辛酉年九月 今川家大将伊勢新九郎長氏入道早雲と岩付の城下に於て御合戦御勝利なり。此時の先陣ハ酒井左衛門尉氏忠入道浄賢舎 両酒井を御前に召連て、昨日汝等が働、抜群之。殊尓汝が葵の紋の籏風に翻ひて見事なりき。今是を家に返しくれよ。我家の紋として吉例を子孫に伝へん。
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[編集] 出自・大江氏後裔
酒井氏は元来、三河国碧海郡酒井村あるいは同国幡豆郡坂井郷の在地領主であったと考えられている。系譜によると、大江氏の流れを汲み、その祖は大江広元であり、大江広元の五男の大江忠成(海東判官忠成)にはじまる三河の海東氏の庶流という。その後、14世紀の末頃に酒井郷の領主の大江姓酒井氏の当主の酒井忠時(酒井太郎左衛門尉大江忠時)の次子の酒井忠則は、後の松平親氏を娘婿に迎え、その子が成長して酒井広親を名乗り、親氏系の酒井氏の始祖となったとされる。
[編集] 親氏系酒井氏
従って酒井郷の在地領主の酒井氏は大江氏後裔とされ、その娘婿の子の酒井広親にはじまる酒井氏は、家系においては大江氏であり、血統においては松平氏が称したのと同じく清和源氏の新田氏族になる。
酒井広親は松平郷に行って松平氏に仕え、譜代家臣となったとされる。酒井氏は広親の子の時に二家に分かれる。あるいは広親の子の酒井五郎親時の子の時ともされる。
家紋は新田氏以来の片喰紋であり、一族や子孫は、それに装飾を加えた「丸に片喰」や「丸に剣片喰」などの家紋になる。
[編集] 左衛門尉酒井家
広親の長男とされる酒井氏忠(親忠)の家系は代々左衛門尉を名乗ったので左衛門尉(さえもんのじょう)酒井家という。16世紀中頃の左衛門尉家の当主酒井忠次は、松平広忠・家康父子に仕えた重臣であった。忠次は重臣家の嫡子であり家康の15歳年長で、夫人は広忠の異母妹で家康の義理の叔父という関係にあることから、徳川家臣団の中で重きをなし、吉田城(豊橋市)を与えられ三河東部の国人領主たちを統率する「東三河の旗頭」になり、家康の青壮年期の多くの合戦で活躍した。忠次は、のちに家康側近の武将として顕彰された徳川四天王、徳川十六神将の筆頭に数えられている。
家康が、後北条氏の旧領を豊臣秀吉から与えられて領地替えとなると、その譜代重鎮の多くは10万石を与えられた。ところが、忠次の嫡子家次には1590年の関東入りの際に下総国臼井(千葉県佐倉市)に3万石だけを与えられた。
この家康の仕打ちに、隠居していた忠次は家康に直訴したと云われる。家康は長男・松平信康を自害させたことの責任は、忠次の不手際であったと考えていたため懲罰的な意味が含まれているとする説、豊臣秀吉との内通があったことを黙認していたとする説、秀吉と昵懇としていたことに、家康が不快感を持っていたとする説などがある。 家次の子酒井忠勝のとき出羽庄内藩14万石の藩主となるが、老中就任の藩主はいても、大老に任命された藩主はいない。
また、現在は知らぬ人はいない徳川家の「葵の御紋」は、元々はこの左衛門尉酒井家のものである。
[編集] 雅楽頭酒井家
広親の次男とされる酒井家忠の家系は代々雅楽助(のち雅楽頭)を名乗り、雅楽頭(うたのかみ)酒井家と呼ばれる。酒井雅楽助正親は左衛門尉家の忠次と同じく家康青年期の重臣のひとりで、三河統一の過程で西尾城主(西尾市)に取り立てられ、直臣最初の城主となる。
その子重忠は関東で武蔵国川越(埼玉県川越市)に1万石を与えられ、重忠の子忠世は前橋藩主、老中・大老となる。またその孫の忠清は大老となり、世間から「下馬将軍」と呼ばれるほどの幕政の実力者となった。忠世の子孫は姫路藩15万石の藩主となった。
また、重忠の弟の忠利は別家して取り立てられ、川越藩主、江戸城留守居となる。忠利の子の忠勝は老中・大老になり、小浜藩11万3千石の藩主となった。
[編集] 酒井氏の大名家
酒井氏の大名家は7家を数え、すべて譜代大名である。明治に至ってともに華族に列し、庄内、姫路、小浜の3家は伯爵、その他の家は子爵を授けられた。
- 雅楽頭酒井家
[編集] 親氏系酒井氏系譜
凡例 太線は実子。(養子はあえて記さず。苗字ありは他氏への養子。)
親氏 ┃ 広親 ┣━━━┓ 氏忠 家忠 ┃ ┃ 忠勝 信親 ┃ ┃ 康忠 家次 ┃ ┃ 忠親 清秀 ┃ ┃ 忠次 正親
[編集] 左衛門尉酒井家
忠次 ┣━━━┳━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 家次 本多康俊 忠知 了次 ┣━━━┳━━━┓ ┃ 忠勝 直次 忠重 忠崇 ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ ┃ 忠当 忠俊 忠恒 忠貫 忠盛 忠直 忠解 忠興 重盈 ┃ ┃ 忠義 忠予 ┃ ┏━━━┫ 忠真 忠英 忠寄 ┏━━━┫ ┃ 忠郷 忠起 忠温 ┃ 忠徳 ┃ 忠器 ┏━━━╋━━━┓ 忠発 忠中 忠寛 ┏━━━╋━━━┓ 忠恕 忠篤 忠宝
[編集] 雅楽頭酒井家
正親 ┣━━━┓ 重忠 忠利 ┃ ┃ 忠世 忠勝 ┃ ┃ 忠行 忠直 ┃ ┗━━━┳━━━┓ 忠清 忠隆 忠稠 ┣━━━┓ ┃ ┣━━━┓ 忠挙 忠寛 忠囿 忠菊 忠音 ┃ ┏━━┳━━┳━━┫ ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 忠相 親本 忠恭 忠武 忠香 忠通 忠竜 忠存 忠用 忠与 ┃ ┏━━┫ ┏━━╋━━━━┳━━━━┳━━━┓ ┃ 親愛 忠仰 忠温 忠恕 忠節 水谷勝政 忠言 忠進 忠貫 ┏━━┫ ┃ ┃ ┃ ┃ 忠以 抱一 忠哲 忠藎 忠義 忠順 ┣━━━┓ ┗━━━━━━┓ 忠道 忠実 忠寧 ┃ ┣━━━━┓ ┣━━━━┓ 忠学 忠讜 三宅康直 忠良 忠恒 ┃ ┃ ┃ 忠宝 忠顕 忠強