里村明衣子
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里村 明衣子(さとむら めいこ、1979年11月17日 - )は日本の女子プロレスラー。センダイガールズプロレスリング所属 。
身長157cm、体重65kg、血液型O型。新潟県新潟市(旧黒埼町)出身。
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[編集] 所属
- GAEA JAPAN(1994年~2005年)
- センダイガールズプロレスリング(2005年~)
[編集] 経歴
柔道出身で、中学時代には自ら柔道部を設立し、中学3年で県大会優勝等の活躍をするが、中学時代、姉に連れられ新日本プロレスを観戦、初めてプロレスの存在を知り、以降レスラーを志ざす。その後は独自のトレーニングに明け暮れ、1994年、GAEA JAPANの旗揚げを知り、「人数が少ないから、すぐトップになれる」の名言と共にオーディションを受け、参加者中、トップの成績で合格する。
合格後は、長与千種の課す、厳しいトレーニングに明け暮れ、翌年の1995年4月15日、後楽園ホールでの加藤園子戦にてデビュー。15歳の史上最年少レスラーとして、他のデビューした新人選手達と共に、新人らしからぬ試合内容に『脅威の新人』と呼ばれる。
デビュー後、女子プロレス団体の共催企画である『ジュニア・オールスター戦』のメインイベントに出場すると言う大抜擢を受け、先輩レスラー達に臆する事なく向って行き、高い評価を得た後、1998年4月、長与から後継者指名を受け、GAEAのエース候補として注目される。
その後、デビル雅美と激しい抗争を繰り広げ、完璧な3カウントフォールを奪取。さらにダイナマイト・関西、尾崎魔弓を連破。その後の旗揚げ6周年大会で北斗晶との激しいケンカマッチを制し、さらにアジャ・コングとのタイトルマッチに勝利し、生え抜き選手としては初のAAAWシングル選手権を獲得する。
その後も順調な活躍を見せるものの、2005年腰椎捻挫、椎間板ヘルニアを同時発症。選手生活初の8ヶ月間に渡り長期欠場と言うアクシデントに見舞われるが、怪我を克服し、復活する。
その翌年、GAEA JAPANが解散となり、自らみちのくプロレスの母体会社である『みちのくエンタテイメント』の女子部門である、『センダイガールズプロレスリング』を旗揚げ。自らエースとして活動するのみに留まらず、新人選手の育成等に手腕を振るっている。
[編集] 得意技
- 相手を肩に担いでそのまま横に落としていく技。自身のフェイバリット技として長く使い続け、腕をロックしながら落とす形のものなど様々なバリエーションがある。
- オーバーヘッドキック
- 相手に背中を向けるような体勢になった時に、後方に回転しながら相手の頭上から蹴りを叩き込む。相手の一瞬の隙を突いて出されるこの技は試合の流れを一転させるほどの威力を持つ。
- ぐるぐるエルボー
- コーナーにもたれている相手に向かって、両腕を大きく旋回させながら助走をつけ、ジャンピングエルボーを叩き込む技。
- 雪崩十字
- コーナーポストに後ろ向きに座った相手の腕を取り、共にリングに向かって落下しながら腕ひしぎ逆十字を極める技。落下の衝撃でよりきつく極まる。
- スコーピオライジング
- 片膝の相手に飛び乗り、そのまま踵落としをきめる。アジャとのAAAW戦を前に、山篭りの修行の末に編み出された技。シャイニング式踵落とし。
[編集] タイトル履歴
- AAAWシングル王座
- AAAWJrタッグ王座(後にAAAWタッグ王座に改名)
[編集] その他
- デビュー時、里村は赤色のリングコスチュームを与えられた。赤は長与のコスチュームの色であり、その時点で「長与の後継者」に期待されていたことが伺える(赤はその後のコスチュームにも継続して用いられている)。なお、デビュー戦の相手である加藤園子にはライオネス飛鳥の色である青が与えられている。
- 新潟出身のプロレスラーの先人にはジャイアント馬場がいるが、里村はデビュー直後、後楽園ホールで偶然馬場と遭遇している。その際「新潟出身のガイア里村です」と挨拶すると、馬場から「がんばってね」と応えてもらったという。
- 和服を好み、プロレス雑誌にも和服を着ている写真が掲載されている。また、GAEA時代のコスチュームも和服をイメージしたものがある。