銭其琛
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銭其琛(せんきしん, ピンイン: Qian Qichen、1928年1月5日 - )は上海市嘉定生まれの中華人民共和国の政治家、外交官。1988年から10年間外交部長として、1993年から2003年まで副総理として15年間、江沢民時代の外交を支えた。
1945年から1949年までは上海『大公報』の社員をしながら、上海中共地下党委員を努める。1953年共産主義青年団中央弁公庁研究員。1954年から1年間旧ソ連中央団校で学ぶ。同時期に留学していた江沢民、李鵬らと共にソ連留学組の1人。
1955年駐ソ大使館二等書記官、留学生処副主任、研究室主任。1966年に文化大革命が起きると下放される。1972年に復活すると駐ソ大使館参事官、1974年8月駐ギニア大使、1976年11月外交部報道局長。
1982年に外交部副部長に昇格。1987年中ソ国境交渉の中国側代表団団長としてソ連を訪問し交渉に当たる。1988年に外相に昇格すると2度ソ連を訪ずれ関係正常化を実現した。1991年にモスクワで中ソ国境協定に調印。国家主席となった江沢民の外遊に随行して、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、日本などを訪問。1989年、昭和天皇の大葬の礼には国家主席特使として出席している。
1991年国務委員兼任。1993年副総理。1994年江沢民をトップとした党中央対台湾工作領導小組副組長に就き、台湾工作でも指導的地位を占める。李登輝がコーネル大学の講演で「中華民国」と何度も繰り返し使ったことに対して、アメリカには抗議しないとする江沢民と意見が分かれたとされる。
1996年全人代常務委香港特別行政区準備委員会予備工作委員会主任に就任。中国代表団として香港返還式典に出席。2003年の全人代で副総理を引退した。
中共第12から15期中央委員。14、15期中央政治局委員。
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