長船綱直
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長船綱直(おさふね つななお ? - 慶長4年(1599年)?)は宇喜多氏の家臣。長船貞親の嫡男。紀伊守。ちなみに綱直の諱は良質な史料では確認できない。
1594年、伏見城普請において普請奉行を務め、そのときの能力を豊臣秀吉に認められて、岡家利に代わって宇喜多氏領国の国政を担った。内政手腕に優れ、宇喜多秀家の側近で岡山城の改修に功のあった中村次郎兵衛や、直家の時代からの用人浮田太郎左衛門とともに、領内検地などにより主家の財政問題解消に取り組んだ。このため、意見を異にした戸川達安や岡越前守と対立したという。
慶長2年(1597年)あるいは同4年(1599年)に病死し、その直前に戸川氏とは和解したとされているが、一説には達安や越前守に毒殺されたとも言われている。綱直の専制は、同5年(1599年)1月の宇喜多氏のお家騒動の原因となった。