門奈哲寛
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門奈哲寛(もんなてつひろ、1970年5月30日-)は元プロ野球選手(投手)。現在はソフトバンクホークスの打撃投手。身長178cm、体重80kg。
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[編集] 略歴
常葉菊川高 - 日本大学 - 巨人(1993年ドラフト2位 - 1999年) - ADOトルネーズ (オランダ)(2000年 - ) - ナダ・スプリット(クロアチア)- 浜松ケイ・スポーツベースボールクラブ
[編集] 1軍通算成績(日本)
[編集] 背番号(日本)
- 「51」(93~95)
- 「45」(96~99)
- 「112」 (06)
[編集] 人物
大学時代に東都大学リーグ記録の1試合18奪三振という記録を作る。巨人では1年目(1993年)から決め球のスクリューを武器に33試合登板を果たす。圧巻だったのは、この年の6月9日の石川県立野球場で行われた対ヤクルト戦。この試合16奪三振を奪った伊藤智仁と9回2アウトの場面まで投げ合い(打者40人、球数147球、被安打4、2四死球、6奪三振)、白熱した投手戦を演じた。惜しくも勝利投手にはなれなかった(勝利投手は石毛博史・勝利打点は9回裏に出た篠塚和典のサヨナラ本塁打)が、当時の長嶋茂雄監督は「門奈はベストピッチだった。」とコメントした。しかし以後は2軍での活躍にとどまり、1998年のオフにはトレードを志願するも受け入れられず。巨人退団後は以前からの強い海外志向もありピッツバーグ・パイレーツの入団テストを受験するも不合格。オランダリーグ・ADOトルネーズに在籍し、1年目5勝、2年目10勝をあげる。4年間プレーした後(2001年には合同トライアウトを受験するも国内の採用はなかった)、クロアチアのクラブチーム「ナダ・スプリット」に移籍。
浜松ケイ・スポーツベースボールクラブに加入し、都市対抗野球大会東海地区予選で7年ぶりに日本のマウンドに復帰した。
一旦クロアチアに帰国するが、2006年からソフトバンクの打撃投手となった。
2007年シーズンから、6年間の欧州生活で培った、英会話力を生かして、それまでの、ソフトバンクホークスの打撃投手に加え、通訳も兼任することになった。