集団安全保障条約
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集団安全保障条約(しゅうだんあんぜんほしょうじょうやく ロシア語:Договор о коллективной безопасности)とは、1992年5月15日に旧ソ連の構成共和国6カ国が調印した条約。3カ国の新規加盟、3カ国の条約延長拒否を経て、現在、ロシア、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン(2006年8月再加盟)の7カ国が加盟している。
同条約は、計11条の条文から成り、加盟国の軍事分野における協力について規定している。
目次 |
[編集] 概要
集団安全保障条約は、1992年5月15日、タシケントにおいて、アルメニア、カザフスタン、キルギス、ロシア、タジキスタン、ウズベキスタンが署名した。1993年、アゼルバイジャン、グルジア、ベラルーシがこれに加わった。同条約は、1994年4月20日に発効した。1995年11月1日、同条約は国連事務局に登録された。
1999年4月2日、集団安全保障条約の有効期限5年延長に関する議定書には、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、ロシア、タジキスタンが署名したが、アゼルバイジャン、グルジア、ウズベキスタンは延長せず、同条約から離脱した。
2006年8月、ウズベキスタンが同条約に再加盟した。
[編集] 集団安全保障条約機構
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事務局 | モスクワ | ||
加盟国 | 7ヶ国 | ||
公用語 | ロシア語 | ||
事務局長 | ニコライ・ボルジュジャ | ||
形成 | |||
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CST - 署名 - 発効 CSTO - 署名 - 発効 |
- 1992年 5月15日 - 1994年 4月20日 - 2002年 10月7日 - 2003年 9月18日 |
2002年5月14日、集団安全保障条約の集団安全保障条約機構(ロシア語:Организация Договора о коллективной безопасности;略語ОДКБ)への改編に関する決議が採択された。集団安全保障条約機構の憲章及び法的地位に関する協定は、同年10月7日、キシニョフにおいて、条約加盟国6カ国が署名した。2003年4月28日、集団安全保障会議において、両文書は最終的に承認された。9月18日、全加盟国がこれら文書を批准した。2004年12月2日、集団安全保障条約機構には、国連総会のオブザーバーの地位が付与された。
集団安全保障条約機構の目的は、条約加盟国の国家安全保障、並びにその領土保全である。ある加盟国に脅威が発生した場合、他の加盟国は、軍事援助を含む必要な援助を提供する義務を有する。条約加盟国の大統領がは、軍事力の使用に関する問題を提起することができ、その要請は、集団安全保障会議により検討される。
加盟国間の軍事・政治関係は、非加盟国との軍事関係及び接触と比較して優先性を帯びる。集団安全保障条約のシステムには、東欧方面(ロシア・ベラルーシ軍集団)、カフカーズ方面(ロシア・アルメニア軍集団)、中央アジア方面(集団緊急展開軍(ロシア語:Коллективные силы быстрого развертывания;略語КСБР)。2001年に創設)の3方面が含まれる。
集団安全保障条約機構の任務には、テロ、犯罪及び麻薬対策も含まれている。条約加盟国は、2003年から毎年、アフガニスタンの北部国境において、対テロ作戦「カナール」(Канал)を行っている。その外、集団安全保障条約機構の枠内において、テロ組織の統一リストが準備されている。
[編集] 集団安全保障会議
機構の最高政治機関は、条約加盟国の大統領が入る集団安全保障会議(ロシア語:Совет коллективной безопасности;略語СКБ)である。会議は、年1回行われる。閉会中は、議長が集団安全保障会議を指揮する。議長職は、条約加盟国大統領が順番で就任する。
[編集] 集団緊急展開軍
集団緊急展開軍編成の決定は、2001年5月、エレバンで行われた集団安全保障会議において採択された。
集団緊急展開の編成下には、ロシア(タジキスタンに配置された第201自動車化狙撃師団)、カザフスタン、キルギス及びタジキスタンから1個大隊ずつ、並びに増強部隊が含まれる。総員は、約1,500人。
エレバンでの会議において、集団緊急展開軍司令官には、セルゲイ・チェルノモルジン少将が任命された。2001年6月、彼は、参謀長ナスイプベク・アブドゥベコフ大佐等と共に、ビシュケクにおいて、統制機関の編成に着手した。本部の員数は、将校10人(参加国から2~3人ずつ)。
2001年8月、集団緊急展開軍統制機関の最初の指揮所演習が行われた。同年10月、最初の部隊演習が行われた。