アルメニア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- アルメニア共和国
- Հայաստանի Հանրապետություն
-
(国旗) 国章 - 国の標語 : Մեկ Ազգ , Մեկ Մշակույթ
(アルメニア語:一つの国家、一つの文化) - 国歌 : 我が祖国
-
公用語 アルメニア語 首都 エレバン 最大の都市 エレバン 大統領 ロベルト・コチャリャン 首相 アンドラニク・マルカリャン 面積
- 総計
- 水面積率世界第138位
29,800km²
4.7%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第133位
2,991,360人
100人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
2兆1,062億ドラムGDP(MER)
- 合計(2005年)世界第134位
42億1,300万ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第122位
117億9,000万ドル
3,900ドル独立
- 日付ソビエト連邦より
1991年9月23日通貨 ドラム(AMD) 時間帯 UTC +4(DST: +5) ccTLD AM 国際電話番号 374
アルメニア共和国(―きょうわこく)、通称アルメニアは西アジアに近接する国。首都はエレバン。黒海とカスピ海の間にある国で、西にトルコ・北にグルジア・東にアゼルバイジャン・南にイランとアゼルバイジャンの飛び地がある。1991年12月にソビエト連邦の解体により独立した。ナゴルノ・カラバフをめぐってアゼルバイジャンと激しく対立している。
目次 |
[編集] 国名
正式名称はアルメニア語で、Հայաստանի Հանրապետություն (ラテン文字転写: Hayastani Hanrapetut'yun)。
英語の公式表記は、Republic of Armenia。通称、Armenia。
日本語の表記は、アルメニア共和国。通称、アルメニア。
[編集] 歴史
アルメニア人は自らをハイ(複数形はハイク)、国をハヤスタンと呼ぶ。またノアの箱船が漂着したというアララト山はよく知られている[1]。
紀元前6世紀頃には国際的な商業活動を盛んに行っていたと言われ、紀元前1世紀にアルメニア高原を中心に大アルメニア王国を築き繁栄した。しかしローマ帝国とサーサーン朝ペルシア帝国の間で翻弄され、両国の緩衝地帯として時に属州となることもあった。
1世紀頃にはキリスト教の布教が進み、紀元301年には世界で初めてキリスト教を国教とした[2]。その後ササン朝ペルシアの支配下に入り更にアラブの侵攻を受けるが、9世紀半ばにはバグラト朝が興り、独立を回復。しかしバグラト朝も長くは続かず、セルジューク朝やモンゴル・ティムール朝などの侵入が相次いで国土は荒廃。このため10世紀に多くのアルメニア人が故国を捨てる(ディアスポラ)ことになった[3]。
1636年にアルメニアにはオスマン帝国とサファヴィー朝ペルシアに分割統治されるが、1828年のトルコマンチャーイ条約によってペルシア領アルメニアはロシア領となる。19世紀後半になるとオスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に至るまで多くのアルメニア人が虐殺され(アルメニア人虐殺問題)、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げ込んだ。
1936年にソビエト連邦を構成するアルメニア社会主義共和国として独立。1988年にアゼルバイジャン共和国にあるナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニアに帰属替えを求めるアルメニア人の運動が起り、これに反発したアゼルバイジャン人との緊張の中で衝突が起り、両国の本格的な民族紛争に発展した。これを契機としてアルメニアは独立を宣言したがソ連軍の侵攻を受けた。しかし1991年にソ連保守派のクーデタが失敗した為、同年9月にアルメニア共和国は独立を遂げた。しかしナゴルノ・カラバフ自治州を巡るアゼルバイジャン人との紛争は現在も続いている。1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)に加盟。
[編集] 政治
政体は共和制である。国家元首は大統領で、任期は5年。大統領は、首相を任免し、首相の提案によりその他の閣僚を任免する。
議会は一院制で、任期が5年である。定数は131議席で、その内、75議席が大選挙区制、56議席が比例代表制である。
州知事と大都市の市長は、任命制である。
[編集] 地方行政区画
アルメニアは、11の地方(marzer、単数はmarz)に分かれる。
- アラガツォトゥン地方 (Արագածոտնի մարզ; Aragatsotn)
- アララト地方 (Արարատի մարզ; Ararat)
- アルマヴィル地方 (Արմավիրի մարզ; Armavir)
- ゲガルクニク地方 (Գեղարքունիքի մարզ; Geghark'unik')
- コタイク地方 (Կոտայքի մարզ; Kotayk')
- ロリ地方 (Լոռու մարզ; Lorri)
- シラク地方 (Շիրակի մարզ; Shirak)
- シュニク地方 (Սյունիքի մարզ; Syunik')
- タヴシュ地方 (Տավուշի մարզ; Tavush)
- ヴァヨツ・ゾル地方 (Վայոց Ձորի մարզ; Vayots' Dzor)
- エレバン (Երևան; Yerevan)
[編集] 地理
山脈と高原が広がる山国。平地はまれで、国土の90%において標高1000mを超える。3000m級の山岳も珍しくない。最大の平地は首都エレバンが位置するアララト盆地。名前の通りアララト山を見上げる位置にあり、トルコとの国境を流れるアラクス川(キュル川)の左岸に広がっている。アララト盆地の高度は800m以上。
中央部にセヴァン湖が位置する。森林は少なく、急流となった小規模な河川が多い。
ケッペンの気候区分によると、低地はステップ気候 (BS) 、高地は亜寒帯湿潤気候 (Df)である。低地は雨が少なく、高地は多い。 首都エレバンの平均気温は11.4度、年降水量は318mm。1月の平均気温は-5.5℃、8月は25.5度である。しかしながら高地に位置すること、冬季に前線が停滞することなどから天候は変化に富んでおり、エレバンに限定しても-25℃から40度まで気温が変化する。
隣国のトルコやイラン同様、地震が多い。鉱物資源に富み、最南部で銅、亜鉛、モリブデンが産出する。石灰岩は全国に分布する。
[編集] 主な都市
- エレバン - 首都であり、世界最古の都市の一つでもある。北緯40度10分、東経44度31分に位置する。
- クマイリ - 第2の都市、人口21万人
- ヴァナゾール - 人口17万人
[編集] 経済
主要産業は、農業、工業、宝飾品加工業。都市人口率が65%と高く、農林水産業従事者は、国民の8%に過ぎない。農業では綿、ぶどう、野菜の栽培が盛ん。穀物としては小麦と大麦を産する。
主な輸出品は、ダイヤモンド (40.7%)、金、非鉄金属。主な輸入品はダイヤモンド (19.6%)、石油製品、天然ガスである。主な輸出国はベルギー、イスラエル、ロシア、主な輸入国はロシア、ベルギー、イスラエルである(以上2002年)。
日本との貿易関係は他国に例を見ない。主な輸出品はモリブデン鉱石 (52.7%) 、美術品と骨董品、血清とワクチンの順である(2003年)。輸入品は建設、鉱山用機械 (62.6%) 、トラック、電気機械である。
アルメニアは新生代、中生代の造山帯の中央に位置し、国内に多数の火山性塊状硫化物鉱床が点在する。このため、規模は小さいものの貴金属を産する。鉱物資源は金(2003年時点の採掘量は1.8トン)、銀(同4トン)、銅(同1.8万トン)である。
[編集] 国民
住民の大半はアルメニア人(約96%)。公用語はアルメニア語。一部では、ロシア語、トルコ語も使われる。
宗教では、単性論教会のひとつであるアルメニア教会の信者が大部分を占める。ほかにロシア正教やカトリックの信徒がいる。301年に世界ではじめてキリスト教を国教化したことで有名。藤田田が「商業に於いて、ユダヤ人が3人いても一人のアルメニア人に敵わない」と称する程に商才に長けているとされる。
[編集] 文化
古くからワインの製造が盛んで、特にブランデーは有名。アルメニア・コニャックと呼ばれる。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月6日 | クリスマス(ユリウス暦基準) | 12月31日からクリスマス休暇。 | |
4月7日 | 女性と母性の日 | ||
4月24日 | 虐殺の犠牲者の記念日 | 1915-22のトルコ政府による虐殺 | |
5月9日 | 戦勝と平和の日 | ||
5月28日 | 1918年の共和国の日 | ||
7月5日 | 憲法の日 | ||
9月21日 | 独立の日 | 十字架挙栄祭と同一 | |
12月7日 | 1988年の大地震の犠牲者の記念日 |
[編集] 観光
世界遺産として3カ所の文化遺産が指定されている。991年に創建されたハフパット修道院とサナヒン修道院、4世紀に創立したゲハルド修道院とアザート川上流域、4世紀に建立されたエチミアツィンの大聖堂と教会群およびズヴァルトゥノツの考古遺跡がある。
[編集] 著名人[4]
- アナスタス・ミコヤン - 元ソビエト連邦最高幹部会議長
- アラム・ハチャトゥリアン - 作曲家。アルメニア・ソビエト社会主義共和国国歌の作曲者。
- ジャン・ジャンセン - 幼少時に見たアルメニア人大虐殺を絵画で描き、その功績などからアルメニア国家勲章を授与された。
[編集] 註
- ^ 伝説ではこのハイ族の族長アルメナケが一族を率い、自らを王と名乗り、一族をアルメニア族と名乗った事が、アルメニアの起源とされている
- ^ そのため、エルサレムの聖墳墓教会の塗油台の壷は特別2個おく事が認められている。他は、ローマ、コンスタンティノポリス、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムの五大総主教座(ローマはカトリック教会、残りは東方正教会)、及び、コプト教会のアレクサンドリア総主教座が各1個。合計8個
- ^ その中の一部は11世紀にトルコ南東部のキリキアに移住しキリキア・アルメニア王国を建国、14世紀末まで独立を保った
- ^ 名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの先祖もアルメニア人とも言われている
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- Armenica.org アルメニアの歴史
- アルメニア政府公式サイト (アルメニア語、英語、ロシア語)
- アルメニア共和国大統領府 (アルメニア語、英語、ロシア語)
[編集] その他
- 世界の国々 > アジア
-
東アジア: 日本 | 中華人民共和国 | 中華民国 | モンゴル国 | 大韓民国 | 朝鮮民主主義人民共和国 東南アジア: インドネシア | カンボジア | シンガポール | タイ | 東ティモール | フィリピン | ブルネイ | ベトナム | マレーシア | ミャンマー | ラオス 南アジア: インド | スリランカ | ネパール | パキスタン | バングラデシュ | ブータン | モルディブ 中央アジア: ウズベキスタン | カザフスタン | キルギス | タジキスタン | トルクメニスタン 西アジア: アゼルバイジャン | アフガニスタン | アラブ首長国連邦 | アルメニア | イエメン | イスラエル | イラク | イラン | オマーン | カタール | 北キプロス | キプロス | クウェート | グルジア | サウジアラビア | シリア | トルコ | バーレーン | パレスチナ | ヨルダン | レバノン
このページはウィキプロジェクト 国のテンプレートを使用しています。