雷門助六
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雷門 助六(かみなりもん すけろく)は落語家の名跡。当代は9代目。
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[編集] 初代
初代立川 助六(たてかわ すけろく、- 1847年11月3日)は、後の立川金山、2代目立川金馬、初代朝寝房夢羅久の門下。
[編集] 2代目
2代目立川 助六(たてかわ すけろく)は、後の3代目立川金馬、4代目三笑亭可楽。
[編集] 3代目
3代目雷門 助六(かみなりもん すけろく)
4代目三笑亭可楽(俗に「爆弾可楽」)の門で古楽を名乗る。俗に「ヒョットコの助六」。 その他は不明。
[編集] 4代目
4代目雷門 助六(かみなりもん すけろく)は、6代目桂文治の門下。 2代目の枠、6代目桂文治の門で文魚。5代目となる3代目古今亭志ん生が今松時代に助六を襲名予定していた。しかし当時、横浜で塗師屋をしていたこの文魚が6代目文治を通して苦情を言い、2、3代目の墓を管理するという条件で先に4代目を名乗ることが許された。
[編集] 5代目
5代目雷門 助六(かみなりもん すけろく)は、後の3代目古今亭志ん生、2代目古今亭今輔の門下。
[編集] 6代目
6代目雷門 助六(かみなりもん すけろく、 1882年9月9日- 1934年5月6日)は、柳亭左太郎、左市、5代目助六(後の3代目志ん生)の門で3代目都家歌六、1910年12月には兄弟子の4代目古今亭志ん生(4代目志ん生自身が6代目助六を名乗る予定だった)に金で二十円を支払って6代目助六を襲名、本名は青木鏡太郎、3代目古今亭志ん生の門下、享年52才。8代目は実の息子。
弟子の一人に初代雷門福助がいる。この初代福助を通じ、雷門一門は名古屋(小福一門)・岡山(喜助)に跨ることとなる。
[編集] 7代目
7代目雷門 助六(かみなりもん すけろく、 1899年11月24日- 1961年11月19日)は、本名は島岡大助、6代目春風亭柳枝の門で遊枝、その後2代目三遊亭金馬の門で金六、金賀を経て1924年に真打で2代目三遊亭小金馬襲名、1929年頃に独立し曲亭馬きん、一時期廃業し、1940年に春風亭梅橋となり、1942年2月に7代目襲名。享年62才。
[編集] 8代目
8代目雷門 助六(かみなりもん すけろく、1907年 - 1991年10月11日)は、東京都出身の落語家、喜劇役者。本名は岩田 喜多二(いわた きたじ)。
6代目雷門助六の実子。幼少期より高座に上がり、小助六を名乗る。五郎と改名後、戦中戦後は寄席を離れ軽演劇の一座を率いて全国を巡業。浅草松竹演芸場等を中心に喜劇役者として活躍した。1959年より短期間ながら吉本新喜劇の座長として出演した。
なお寄席には1956年に復帰。1962年8代目雷門助六を襲名し、落語に専念。東京・名古屋・岡山にまたがる雷門一門の惣領として活躍した。
「あやつり踊り」、「かっぽれ」、「人形ばなし(二人羽織)」、「住吉踊り」、「松づくし」など踊りを中心とした寄席芸を確立した。
得意ネタは長短、虱茶屋、片棒、仕立ておろしなど。
[編集] 9代目
9代目雷門 助六(かみなりもん すけろく、1947年1月13日 - )は、神奈川県横浜市出身の落語家。本名は岩田 孝允(いわた たかまさ)。落語芸術協会所属。
- 1965年 - 8代目雷門助六に入門。花助を名乗る。
- 1968年 - 二つ目昇進。
- 1981年 - 真打昇進。師匠の前名、五郎を名乗る。
- 1996年 - 9代目雷門助六を襲名。
8代目の芸を受け継ぎ、「松ずくし」「あやつり踊り」の第一人者といわれる。
[編集] 出典
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X