鞠智城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
|
![]() |
|
歴史公園・鞠智城 | |
通称 | |
城郭構造 |
古代朝鮮式山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
大和朝廷か? |
築城年 |
不明 |
主な改修者 | |
主な城主 | |
廃城年 |
不明 |
遺構 |
建物基礎、復元米倉・兵舎・鼓楼 |
位置 |
鞠智城(くくちじょう、きくちじょう)は、古代朝鮮式山城の一つ。熊本県山鹿市(旧鹿本郡菊鹿町)から菊池市にかけて所在する。
目次 |
[編集] 概要
文武天皇時代の修築記事(698年)ではじめてその名が正史に登場するが、築城年は記載がなく現在も確定されていない。7世紀後半、大和政権が朝鮮半島の白村江において唐・新羅の連合軍に敗れて以降は、その来寇に備える軍事拠点と位置づけられた可能性が高い。太宰府管轄下にあった6城の1つで、大野城・基肄城の兵站基地として有事に備えた城と考えられている。城の面積は内城55ha、外縁地区65haに及ぶ。
昭和34年(1959年)に「(伝)鞠智城跡」として県指定遺跡に指定。昭和42年(1967年)より発掘調査が行われ、当時としては珍しい八角形建物(韓国の二聖山城跡に類似の遺構あり)をはじめ72棟の建物基礎が現在までに確認されている。平成6年(1994年)より歴史公園鞠智城として整備が開始された。校倉造りの米倉や兵舎が平成9年(1997年)に、八角形鼓楼が平成11年(1999年)に復元され公開されている。平成16年(2004年)に国の史跡に指定された。
鞠智城と現在の通称菊池城(菊池本城)は異なる。
[編集] 関連文献
- 「大宰府をして、大野、基肄(きい)、鞠智(くくち)の三城を繕治(ぜんち)せしむ」
- 「肥後国菊池郡城院の兵庫の戸が自ら鳴る」
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本の歴史関連のスタブ項目 | 日本の城 | 熊本県の歴史 | 熊本県の建築物・観光名所 | 熊本県の史跡 | 菊池氏 | 山鹿市