顕宗 (高麗王)
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顯宗(けんそう、992年 - 1031年)は第8代高麗王(在位:1010年-1031年)。諡号は大孝德威達思元文大王、名は王询、別名は王安世。燎宗と記す場合もある。父は王郁、祖父は太祖。
[編集] 略歴と年表
顕宗に関連する年表を示す。
- 994年 契丹(遼)と和睦。契丹の正朔を奉ずる。
- 1009年 康兆の政変(康兆の乱)。武臣・康兆が王権交代を図るが、後に契丹に殺される。
- 1010年 第2次契丹(遼)の侵入『契丹の聖宗(位982~1031)が大軍で侵入』
- 姜邯賛の策略により既に高麗軍と物資は開京になく、補給に不安を感じ、後退を始めた遼軍に反撃を加え大勝。
[編集] 関連
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カテゴリ: 人物関連のスタブ項目 | 朝鮮国王 | 992年生 | 1031年没