飯尾連竜
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飯尾連竜(いいお つらたつ、? - 永禄8年12月20日(1566年1月11日))は、戦国時代の武将で、今川氏の家臣。遠江曳馬城主。官位は豊前守。父は飯尾乗連。妻はお田鶴の方(椿姫)。子に飯尾義広?。
連竜の飯尾氏の出自は三善氏で、元々室町幕府の奉公衆であり、今川義忠の代に駿河に下向、以来代々今川氏家臣として仕えていた。連竜の父の乗連は桶狭間の戦いに参加し、戦死したというが、生き延びたという説もある。
桶狭間の戦いにおいて、遠江の今川方の国人領主の多くが戦死したため、遠江は混乱状態になった。連竜は妻の機略により井伊直平を毒殺するなど、遠江の混乱を加速させたといわれる(遠州錯乱)。のち、三河を制した徳川氏に内通するも、これを察知した今川氏真の攻撃を受けることになる。連竜は一時は三浦正俊ら今川軍の名だたる将を討ってこれを撃退したものの、持ちこたえられず氏真と和睦する。しかし、のちに駿河に赴くが、そこで氏真に暗殺されてしまう。
連竜亡き後、妻のお田鶴の方が居城を守っていたが、まもなく徳川氏の攻撃を受け曳馬城は落城した。
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