高崎五六
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高崎五六(たかさき ごろく 1836年 - 1896年)は鹿児島藩士。
1836年(天保7年)、鹿児島に生まれる。最初「猪太郎」または「兵部」と名乗り、後「友愛」を名とする。
安政末期、水戸藩有志と通牒のうえ大老井伊直弼襲撃を策謀し、関鉄之助とともに入京、朝廷に奏聞しようとしたが果たせず。
文久2年、藩命により上京。藩士有馬新七らが藩主の父島津久光の命に背いて伏見寺田屋に集会するのを察知し、久光に急告して騒擾を事前に食い止めた。
元治元年、長州征伐が起こり、西郷隆盛と協議のうえ朝稲兵助と変名して長州に入り、藩要人と議論を交わし、さらには長州藩謝罪恭順のために周旋した。
維新後、大久保利通に用いられて、元老院議官、東京府知事等を任じられた。
明治20年、勲功により男爵位を授けられ、明治29年5月、病没した。年61。
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