高木清秀
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高木 清秀(たかぎ きよひで)は、戦国時代の武将。織田氏、徳川氏の家臣。
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時代 | 戦国時代から江戸時代前期 | |||
生誕 | 大永6年(1526年) | |||
死没 | 慶長15年7月13日(1610年8月31日) | |||
別名 | 善次郎(幼名)。主水助(通称) | |||
戒名 | 性順 | |||
氏族 | 高木氏 | |||
父母 | 父:高木宣光 | |||
子 | 三男:高木正次 |
幼少時から織田信長に仕え、その家臣である水野信元の与力となる。1575年に信元が武田勝頼に内通した罪により信長に殺されると、佐久間信盛の与力となる。ところがその信盛も1580年に信長によって追放されたため、信長直属の家臣として仕えるようになったのである。織田時代には姉川の戦いや長篠の戦いに参加している。
1582年に信長が死去すると、徳川家康の家臣となり、そのもとで小牧・長久手の戦いや小田原征伐に参加している。1594年に三男の正次に家督を譲って隠居し、1610年7月13日に死去。享年85。
武勇に優れ、戦場で数々の逸話を残していることから、徳川十六神将の一人として数えられている。また、息子の正次は江戸幕府創設後、河内丹南藩の藩主となり、高木氏は丹南藩として明治維新まで存続した。