高柳重信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
![]() |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
高柳重信(たかやなぎ・じゅうしん、1923年1月9日 - 1983年7月8日)は俳人。
東京小石川生れ。本名は高柳重信(しげのぶ)、俳人としては「じゅうしん」を自称した。 早稲田大学専門部法科卒業。
学生時代に「早大俳句研究会」に参加、富沢赤黄男(かきお)に師事した。 1958年(昭和33年)に赤黄男、三橋鷹女、高屋窓秋、永田耕衣を擁して「俳句評論」を創刊した。
3行ないし4行書きの多行書きの俳句を提唱、実践し金子兜太とともに「前衛俳句」の旗手となった。
後年、山川蝉夫という別人格を登場させ発想と同時に書ききるという、一行の俳句形式も行った。
俳誌「俳句評論」代表。総合誌「俳句研究」(俳句研究新社)編集長を歴任した。 妻、高柳篤子と離婚後、俳人中村苑子と生涯をともにしたが、結婚はしなかった。 歌人の高柳蕗子は篤子との実子。
句集に「蕗子」他。「高柳重信全集」(全三巻)などがある。