高田川部屋
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高田川部屋(たかだがわべや)は、日本相撲協会所属の相撲部屋。
1974(昭和49)年、高砂部屋の元大関前の山太郎が創設。高砂一門に属していたが、1998(平成10)年1月、高田川の日本相撲協会理事選挙立候補を理由に一門を破門された。高田川はそれでも理事に2期連続当選し、当選を背景にどこの一門にも属さず無所属となった。時津風理事長が勇退すると理事の立候補を止め、北の湖理事長実現に向け影響力を持った。さらに、元安芸乃島勝巳の千田川が貴乃花部屋を事実上破門されると千田川を受け入れ、部屋付き年寄とした。
目次 |
[編集] 師匠
- 前の山太郎(元大関・大阪)
[編集] 幕内
- 小結
- 平幕
- 鬼雷砲良蔵(神奈川)
[編集] 十両
[編集] 現役関取
- 大雷童太郎(福岡)
[編集] 外部リンク
[編集] 旧高田川部屋
高田川は大阪相撲の名跡であり、3代の元早瀬川のとき東西合併により加入した。横綱宮城山が1931年に引退して、白玉部屋を興したときに弟子を譲って隠居したが、1943年に白玉から芝田山に改名して芝田山部屋を経営していた宮城山が亡くなると、その弟子たちを預かった。しかし、翌1944年、元早瀬川も死去したので、所属力士は高砂部屋に転籍した。その中には、のちの小結宮錦浩たちがいた。
- 師匠
* 高田川音吉
- 2代橋本政吉
- 3代早瀬川一榮(元関脇)
- 横綱
- 宮城山福松(29代・岩手)