鳩山由紀夫
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鳩山 由紀夫(はとやま ゆきお、1947年(昭和22年)2月11日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。民主党幹事長。
民主党(1996‐)代表(初代)、民主党(1998‐)代表(第2代)、新党さきがけ代表幹事を歴任。
生年月日 | 1947年(昭和22年)2月11日 |
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出生地 | 東京都文京区 |
出身校 | 東京大学工学部計数工学科卒業 スタンフォード大学大学院修了 |
学位・資格 | 工学博士 |
前職・院外役職(現在) | 大学助教授 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆・国家基本政策委員会委員 |
世襲の有無 | 4世(地盤の直接継承なし) 曽祖父・鳩山和夫 祖父・鳩山一郎 父・鳩山威一郎 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
北海道9区 |
当選回数 | 7回 |
所属党派(現在) | 民主党(鳩山グループ) |
党役職(現在) | 幹事長 ネクスト国務大臣 |
会館部屋番号 | 衆・第1議員会館334号室 |
ウェブサイト | 鳩山由紀夫ホームページ |
目次 |
[編集] 概要
- 東京都文京区に父・鳩山威一郎、母・安子の長男としてうまれる。学習院初等科、学習院中等科、東京都立小石川高等学校を経て、東京大学工学部を卒業しスタンフォード大学博士課程を修了する。同大PhD。専攻は経営工学。東京工業大学助手を経て、専修大学経営学部助教授。
- 1986年、自民党の公認を得て田中派新人として、先祖の故地である北海道から第38回衆議院議員総選挙に出馬、当選する。
- 北海道開発政務次官などをつとめるが、政治改革を巡り自民党を離党。武村正義らと新党さきがけを結成し代表幹事となる。総選挙後、成立した細川護煕内閣では、内閣官房副長官に就任し、さきがけ代表の武村官房長官、代表代行の田中秀征首相特別補佐と共に細川内閣を支えた。
- 村山富市自社さ連立政権では、さきがけ代表幹事として政権を支えたが、新進党の船田元と新党構想を打ち上げる。船田との新党作りは挫折したが、菅直人と共に民主党を結党。「排除の論理」で武村を棚上げする。
- 民主党では幹事長代理を経て、1999年9月から党代表をつとめ、2000年6月の衆院選、2001年7月の参院選など、国政選挙の度に党勢を拡大させた。2002年12月、統一補選での惨敗と、自由党との統一会派騒動をめぐっての党内混乱の責任を取る形で代表を辞任した。
- その後も民主党内で最大派閥「鳩山グループ」(政権交代を実現する会)を率いて憲法問題や北朝鮮による日本人拉致問題などについて積極的に発言するなど、一定の影響力を維持している。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で民主党が敗北したことを受けての代表選挙では、当初、小沢一郎、菅直人らと後継代表の一本化を図るが、中堅・若手の代表格である前原誠司が立候補を表明したため、水泡に帰した。9月17日発足の前原執行部で幹事長に就任。
- 2006年3月31日、堀江メール問題に関連して、幹事長を引責辞任することを表明するが、同年4月7日に行なわれた前原誠司民主党代表辞任に伴う代表選で小沢一郎が当選すると、幹事長に留任した。
[編集] 略歴
[編集] 学歴
[編集] 職歴
[編集] 政歴
- 1986年
- 第38回衆議院議員総選挙(旧北海道4区・自由民主党公認)当選
- 1990年
- 第39回衆議院議員総選挙(旧北海道4区・自民党公認)2期目当選(対立候補で後に側近となる民社党新人小平忠正が初当選)
- 1993年
- 6月18日自民党離党~3日後新党さきがけ結成
- 第40回衆議院議員総選挙(旧北海道4区・さきがけ公認)3期目当選
- 1994年
- さきがけ離党、旧・民主党(1996-1998)結成、党代表(菅直人と共同)就任
- 第41回衆議院議員総選挙(北海道9区・民主党公認)4期目当選
- 1997年
- 党幹事長就任
- 1998年
- 新・民主党結成
- 党代表就任
- 2000年
- 第42回衆議院議員総選挙(北海道9区・民主党公認)5期目当選
- 2003年
- 第43回衆議院議員総選挙(北海道9区・民主党公認)6期目当選
- 2005年
- 第44回衆議院議員総選挙(北海道9区・民主党公認)7期目当選
- 党幹事長
[編集] 家族・親族
- 曽祖父・鳩山和夫(学者、弁護士、政治家)
- 祖父・一郎(政治家・首相)
- 父・威一郎(官僚、政治家)
- 母・安子(実業家・ブリヂストン創業者石橋正二郎長女)
- 弟・邦夫(政治家)
- 妻・幸(宝塚歌劇団卒業生。タカラヅカ時代の芸名・若みゆき)
- 長男・紀一郎(東京大学大学院工学系研究科助手)
[編集] 人物像
- 穏やかで生真面目な人柄だが政略に長け、豊富な資金力や祖父以来の人脈を背景にして、90年代の政界再編期に一貫して中心にあった。また小泉内閣誕生から政権初期にかけて民主党代表をつとめていたため、小泉の自民党内牽制カードとして、鳩山民主党との連携が噂された。代表退任後もしばしば与党や小泉との連携を示唆する発言をし物議を醸している。
- 1996年の(旧)民主党の結党資金の多くは鳩山家が拠出したといわれる。
- 学習院初等科では高知県知事の橋本大二郎、新党さきがけ政調会長や西武百貨店社長を務めた水野誠一と同級であった
- 1988年にレコード「Take HEART~翔びたて平和の鳩よ~」をテイチクレコードから発売している。
- 2000年の総選挙では自民党候補の岩倉博文に追い上げられ当時、党代表でありながら当確も当選も小選挙区で300番目、つまり最後に打たれた。ちなみに、この当時伊集院光は「深夜の馬鹿力」内で鳩山に親しみを込めて「兄ポッポ」と呼んでおり、弟の鳩山邦夫を「弟(おと)ポッポ」、そして二人まとめて「ポッポ山さん」と呼んでいた。
- 自民党の対抗勢力たる民主党の中心人物としてリベラルを自認しているが、拉致問題への積極的なかかわりや、自ら憲法改正私案を出版するなど憲法改正へのこだわりなど、本質は保守的・タカ派的なのではないかとの見方は多い。その背景には、好んで「友愛」という言葉を口にすることからもわかるように、祖父鳩山一郎の影響があり、とくに彼の悲願であった自主憲法制定を自らの手で成し遂げるという思いがあるといわれる。民主党の2006年以来の「トロイカ体制」でも党内左派や野党共闘への配慮を重視する小沢一郎や根っからの市民派である菅直人との間での軋轢を報じられることがしばしばで、翌年4月の憲法改正国民投票法案への対応では与党案への反対を早々に決めた小沢・菅との確執が表面化した。
- 兄弟そろっての愛犬家であり、また蝶好きであることでも知られているが、蝶研究の第一人者である弟の邦夫によると、兄はもっぱら「夜の蝶ばかり追いかけているカメレオン」とのこと(2000年総選挙における演説にて)。これは相手に応じて意見を七色に変えるという意味合いも込められている。
- 2005年、同志社大学文化情報学部の客員教授に就任。
- 好きな漫画は桂正和の『I"s』(アイズ)である。
- 前衛的なフラッシュムービーを用いたホームページが一部ネット上で話題となっている。
- 自宅で大規模な社交パーティを開くなど政界きっての資産家として有名だが、本人は「庶民的な感覚を持ち合わせる。」と自称している。その例として自転車に乗れる事が庶民的だとアピール(?)している。
- 空間プロデューサー平山誠のプロデュースによる居酒屋「トモト」を新橋で経営。しかし平山の新党日本事務総長就任の煽りを受け、2005年末閉店。
- 「平成日本のよふけ」に出演したときは政治家らしからぬ天然ボケ・マイペースなキャラクターが露になり、司会の笑福亭鶴瓶・香取慎吾を驚愕させた。
- 弟・邦夫と容姿が全く似ていないことについて鶴瓶に言われると「種が違いますから」とジョークをし、鶴瓶に激しくツッコまれた。
- 公式サイトによると、本人は常盤貴子のファンとのこと。
- 2007年2月9日、記者会見で「マニフェストを作成する中で年金と消費税の議論を行うことが大事だ」と消費税増税に言及した。
- 2月28日、父・鳩山威一郎の銅像が贈られた除幕式の後、「我々孫たちが真剣に北方領土問題の解決に向け、もう一度踏ん張らないといけない。四島一括返還では1000年たっても還らない」と'北方領土を一部割譲する形での問題解決に向け意欲を語った。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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