鴻池財閥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鴻池財閥(こうのいけざいばつ)は、日本の財閥。鴻池家が、摂津国伊丹村(現・兵庫県伊丹市)で清酒の醸造を始めたことにはじまり、これを江戸に送って酒の製造・販売を発展させた。
始祖・新六には男子が多数あり、鴻池家初代とされる正成は八男である。二男の善兵衛秀成は早くも元和元年(1615年)に大坂へ移り、醸造を始めた。同5年には新六も大坂内久宝寺町に店舗を設け、醸造を営んだ。寛永2年(1625年)には正成は九条島にて海運業を始め、後には西国大名参勤交代の運輸を担当するようになった。海運業の創始は、大坂から江戸への酒積みが多量となり、陸路駄馬で運んでいては間に合わず、海上輸送を行うことにしたのである。
大名の蔵物の取り扱い、その関係からの大名貸が始まる。明暦2年(1656年)には両替店を開店し、寛文10年(1670年)には幕府御用の両替商として、十人両替という地位にのしあがった。ここで、鴻池は酒造・海運・金融(大名貸、両替商)という、一見相互に無関係の業務を営む形になったが、海運業、金融業は、酒造業の隣接業種、ないしは発展途上に関係してきた業種なのである。
後に、鴻池は海運、酒造から手を引き大名貸専業となり、明治維新後も、金融業から他の事業へ営業分野の拡大は計らなかった。いろいろな起業の発起人に鴻池善右衛門が名を連ねている場合があるが、同家の名声を利用するために誘い込まれたものが多く、同家主導のもとになされたものではない。しかも明治以降の鴻池銀行の営業政策は堅実を旨としていたため、国民経済の規模の拡大に歩調をあわせて発展できず、他の諸銀行に追い抜かれ、一地方銀行へと後退していった。