黒田長元
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黒田 長元(くろだ ながもと、文化8年6月2日(1811年7月21日) - 慶応3年4月4日(1867年5月7日))は、筑前秋月藩の第10代藩主。父は土佐藩主・山内豊策(長元は五男)。母は伊勢津藩主の藤堂高嶷の娘・順。正室は黒田長韶の娘・慈海院(慶子)。子に長義、山内豊福、松平忠毅、織田信民、娘(久留島通靖室→錦城教久室)。
文化8年(1811年)6月2日生まれ。幼名は戌次郎。文政11年(1828年)12月、先代藩主の黒田長韶の養嗣子となり、文政13年(1830年)5月にその娘と結婚した上で、同年10月6日に家督を譲られて藩主となった。先代以来、藩内において専横の限りを尽くしていた間小四郎の一派を流罪に処している。万延元年(1860年)8月8日、家督を子の黒田長義に譲って隠居し、慶応3年(1867年)4月4日に57歳で秋月にて死去した。法号:安静院文山松操。墓所:福岡県朝倉市秋月の古心寺。
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