HISASHI
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HISASHI(ヒサシ、本名:外村 尚(とのむら ひさし)、1972年2月2日 - )は日本のミュージシャンである。ロックバンド・GLAYのメンバーでギター担当。
青森県弘前市生まれ、北海道函館市出身。北海道函館稜北高等学校卒業。血液型はO型。愛称は「トノ」。
Radio Carolineのウエノコウジ、THE MAD CAPSULE MARKETSのMOTOKATSU、TERUと組んだバンド「rally」のリーダーも務める。
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[編集] 経歴
幼い頃からゲームやメカが好きで、ラジカセなどを分解していた。
自宅には外科医であった父親のオーディオルームがあった。両親からは立ち入りを禁止されていたが、こっそり入っては満喫していたらしい。特に、部屋の中の数多のオーディオ機器は彼の興味を益々そそったようだ。この背景により、彼にとって音楽はとても身近なものになり、今の彼の基盤ともなっているといえる
小学校4年生の頃、父親の仕事の関係で青森県弘前市から北海道函館市に引っ越す。
ラジオでエアチェックしたロックミュージックに魅了され音楽に没頭し、中2の時には通販でギターを購入(初心者セットのストラトキャスターモデルらしい)。音楽雑誌を友人に借りては読み、函館の店に置いていなかったレコードは兄に頼んで札幌まで買いにいってもらっていたことも。そもそも、バンドに興味を持ったきっかけは1つ年上の兄やその友達に影響されている面があるようだ。父親が病に倒れ急死したのもこの頃のことである。
積極的にメンバーを集め、「蟻」という(パンク)バンドを組んだが1年で解散。 高2の時に同じ高校に通っていたGLAYのリーダーであるTAKUROと出会い、ツインギターの相棒を探している事を知る。ツインギターに興味を持ち、GLAYに加入。卒業後は母親とともに上京した。 実は当時の先生から、「バンドは無理だ」と言われたらしいが、本人は受け入れず続けた。
アルバイトを転々としながらGLAYの活動を続ける。 1991年にはベース不在により、短期間ながらベースを担当していたこともある。 よくライブでかぶっていたことから、魔女帽がトレードマークであった。
1998年 5月18日“pure soul”TOUR’98 北海道厚生年金会館での公演中に脚を骨折するという惨事が発生。それにより以後5会場が延期になるものの、骨折部分にボルトを入れ、5月30日の大坂厚生年金会館からツアーに復帰する。この事件を、ホテルメランコリー(別冊カドカワ内)というエッセイで語っているほか、「毒ロック」の歌詞でも軽くこの事件を匂わせている。ツアー終了後、入院。
1999年 12月16日メンバープロデュース・ファンクラブ限定ライブの一環として、HISASHIプロデュース「RESONANCE Vol.1」を新宿CODEで行う。このライブで、VJ TEAM"e-メール"と初共演した。(その後、GLAY ARENA TOUR 2000「HEAVY GAUGE」、GLAY DOME TOUR 2001-2002「ONE LOVE」でも共演)なお、このライブには20歳以上限定という年齢制限があった。
タイトルに「Vol.1」とついているが、2回目はいまだ行われていない。
2001年 HISASHIが愛用している「bainary」とのコラボレーショングッズ、「HISASHI VS binary WネームTシャツ」をファンクラブ限定で発売。
2004年 長年の喫煙を止め、TERUと一緒に禁煙を開始。 だが、ここ最近は飲酒をするとついつい大人の嗜好品という理由で吸ってしまう時もあるらしい。
2005年 8月26日DJを務めるラジオ番組の放送100回を記念して、『FM-FUJI CYBER NET CITY FULL METAL MIX 100回記念スペシャル』を富士急ハイランド園内サテライト・スタジオLAGOONで行う。
11月20日 新木場STUDIOCOASTで行われたcandystripperの10周年記念イベントの音楽・DJを担当。自らギターを弾く場面も。
12月21日 BUCK-TICKの20周年を記念したトリビュート・アルバム『PARADE~RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK~』に「悪の華」でrallyとして参加。
[編集] その他
- 音楽番組などでは発言回数が少なく、クールでミステリアスなイメージが強いが、実際はお茶目な性格らしい。
- タルボというアルミニウム製のギターを愛用し、1999年や2001年のGLAY EXPO、そして2004年7月31日に行われた「GLAY EXPO 2004 in UNIVERSAL STUDIOS JAPAN “THE FRUSTRATED”」でも、TALBO自慢コンテストを開催している。また、2002年頃からZemaitis(ゼマイティス、ゼマティスとも)という全機ハンドメイドのギターも使い始め最近は多くの曲をZemaitisにてプレイしている。
- HISASHIがギターでフレーズを弾くとき、小指を使わず、人差し指・中指・薬指の3本指で運指していることが多い。
- アニメや漫画、車・バイクやパソコンなど幅広い趣味を持ち、自他共に認めるオタクである。特に機動戦士ガンダムに関しては、ファンクラブの会報にて細かいネタをよくちりばめている。
- HEY! HEY! HEY!でダウンタウンの松本に「長谷川君」と呼ばれていた。
- 生まれてくる前、両親は女の子だと思っていたらしく『みどり』という名前を用意していた。
- 紀里谷和明監督と親交があったことから、TAKUROと共にCASSHERNに出演(虐殺される民間人役、2004年)。
- 映画CASSHERNの撮影で、TAKUROに向かって叫ぶシーンで、監督に『もっと感情を込めて台詞を言って』と言われ、役の名前でなく、思わず『TAKURO~~~っ!!』と本名で叫んでしまったらしい。TAKUROはそれで友情を感じたらしい。
- 愛猫は鮎(オス・雑種)。HISASHIの家に来て初めて食べたものが鮎の缶詰であったことから命名。その他にアメリカンショートヘアの瓜や、うさぎのカル、ヤモリのヤモを飼っていた(る)。
- 1999年、ライブ中に骨折をした時に看病をしてくれた女性と結婚。
- TAKUROとは音楽の嗜好が正反対で、TAKURO曰く「GLAYの中でのライバル」。その他、TAKUROは自分が何か提案した時に反論してくれるのがHISASHIであると語っている。
- 高校時代、TAKUROがバンド仲間を探している時に写真を撮られ、それを見たTERUが「こいつ採用! すっげぇかわいい!」と褒めた。
- 2007年1~3月に開催された『GLAY ARENA TOUR 2007 LOVE IS BEAUTIFUL』では、涼宮ハルヒの憂鬱の涼宮ハルヒがプリントされたピックを使用していたらしく、ピックを拾った一部のファンを驚かせた。また、FC会報でも同アニメ内の台詞を引用している。
- リーダーのTAKURO曰く、「彼は短い小節のなかで印象的な音を選ぶのが天才的にうまい。僕も聴いててギターを弾きたくなる」と賞賛した。
[編集] レギュラーラジオ番組
- 『CYBER NET CITY FULL METAL MIX 』(FM-FUJI )
毎週金曜19:00~20:00
[編集] 書籍
音楽雑誌「GIGS」で連載されていたコラムの書籍化。 書籍化にあたり、ギター・機材のコレクションやインタビュー、撮りおろし写真が加えられた。 独特のHISASHI節が満載の1冊となっている。
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