ノート:PC/AT互換機
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IBMは一旦オープンアーキテクチャ路線をとったものの、その後PS/2では独自路線を追求し、PC/ATアーキテクチャ(?)からは距離を置いていた。日本ではPS/2系列(?)のPS/55を展開していた。DOS/Vにより、漢字ROMの軛から逃れられるようになって、日本でもPC/AT互換機が一般的になると、IBMがもともと生み出した規格であるにもかかわらず、IBMからはその仕様に沿ったマシンが出ていない、という矛盾(?)が日本のユーザにも強く感じられる一時期があった。結局、IBMは(日本IBMはというべきか)独自路線の追求をあきらめ、PC/AT路線の延長上にあるマシンも提供するようになった。(PS/Vシリーズと言っていたと思う。)これは、大量生産部品を使うことにより、従来よりも低廉な価格での提供ができるようになったため、歓迎された。一部では、「IBMのつくった”IBM互換機”」とも呼ばれた。---というようなことを本文に盛り込みたいのですが、うまい場所がないですね。160.185.1.56 2005年7月27日 (水) 03:15 (UTC)
- まずPS/55は、バスがMCAでビデオシステムが5550互換というマシンだったと思います。
- また、日本IBMの最初のPC/AT互換機は1991年5月に発売されたPS/55Z(5510Z)で、PS/Vシリーズの登場は1992年だったと記憶しております。なおPS/55ZはビデオシステムがVGAで5550互換のビデオシステムが無いため従来の日本語DOSは使用できないDOS/V専用機です。また拡張バスはISAで、BIOSもPC/AT互換でした。神田明(仮名) 2007年1月29日 (月) 16:37 (UTC)