TVプレイバック
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TVプレイバック(てれびぷれいばっく)は、フジテレビ系で1985年10月6日 -1989年5月、日曜22:00-22:30に放送されていた、トークショーを交えたクイズ番組である。司会は萩本欽一。アシスタントは松田朋恵。レギュラー回答者は石田純一、向井亜紀。また、ドリフターズのメンバーが1人ずつ交代で回答者を務めた。これに、ゲスト回答者が1名加わる。
メインスポンサーは、前番組のアイアイゲームまでは武田薬品工業と同社傘下の天藤製薬、千寿製薬、グレラン製薬、ビオフェルミン製薬と複数社だったが、この番組では武田薬品工業と他の複数社だった。武田薬品工業降板後は、鈴木自動車など複数社がスポンサーになった。(メインはライオン、アデランス、三和酒類だった。)
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[編集] 番組概要
クイズといっても肩肘はったものではなく、やはり萩本が出演していたぴったしカンカンのようなトークに重きを置くものである。ドリフが仕切るほうではなく、回答者となって欽ちゃんと絡む、というのはなかなか珍しいシチュエーションであった。まさによきライバルではあるものの、今までほとんどなかった欽ちゃんとドリフの夢の共演がここに実現したのである。まだバラエティ慣れしていないころの石田・向井の様子もほほえましいものであった。
[編集] クイズ内容
時期によって内容は少し変わるが、毎回4コーナーほどで構成された。以下は主なクイズについて説明する。
[編集] ファーストチャンス
- いわゆるオープニングクイズ。ゲストが自ら考えた、自分に関する3択クイズを出題し、他の3名が答える。
- 得点は、正解者とゲストで6点を山分けする。正解者なしの場合はゲストが6点を独り占めし、全員正解の場合は回答者に2点ずつ、ゲストは0点となる。
[編集] Oh!シネマ
- 昔の外国映画のワンシーンを見た後、問題に答える。2問出題し、1問正解で3点獲得。
- ストーリーの続きの展開を予想する問題と、今見た映像に関する記憶力を試す問題がある。
[編集] ババ抜きショック
- あらかじめ観客にアンケートをとり、その回答のベスト10が発表される。ただし、それが何位かは知らされないので、1位と2位でないものを順番に当てていく。
- 1位は「大ババ」で3点減点、2位は「小ババ」で2点減点。2枚ババが出るか、ババだけ残るまで続く。
[編集] ラストチャンス
- 文字通りの最終問題で、3択クイズが1問出題される。全員が答えを出した後、自分の答えを変えてもよい。正解者は3点獲得。
- 出題内容は、普段使う言葉や物の語源を問うものが多かった。
[編集] 賞品選び
- ラストチャンス終了後、得点の一番高い回答者が挑戦する。同点の場合はゲストが優先。レギュラー同士の場合はジャンケンで挑戦権を決める。
- 「大きなつづら」と「小さなつづら」(実際には大きさの違う箱)のうち、中身を見ないでどちらかを選ぶ。
- 片方は豪華賞品、もう片方はそれなりの賞品(極端にひどいものは入っていなかった)で、選ばれなかったほうは観客に抽選でプレゼントされる。
[編集] 備考
- 一応、クイズ番組であるので、得点があるのだが、その扱いはユニークなものであった。萩本の裁量で上下するのはもちろん、9点を超えると、それまでの点数がすべて没収されてしまうルールがあった。
- 各回答者の得点パネルが、3×3の電飾で点数の分だけ点灯する仕組みなので、9点までしか表示されない。そのため、10点以上になったとき、萩本が「一旦消さないと、得点入れられないじゃない」といって得点をすべて消してしまった。おそらくアドリブと思われるが、これが正式ルールになってしまった。
- 放送開始当初は、9点を超えても全て9点満点として扱われた。そのため、何人も満点状態になってしまっていた。
- 末期に、10点を表すオブジェが回答者席の上に置かれることになった。
- レギュラー回答者の石田純一と向井亜紀は、この番組がきっかけで、司会の萩本と回答者のドリフのメンバーから色んな事を教わった。石田と向井は、この番組で、名前と顔が売れはじめる。
- この番組の後続番組は、萩本の後輩の関根勤が司会のクイズ!早くイッてよで、こちらも好評であった。
[編集] 前後番組の変遷
フジテレビ 日曜夜10時台前半 | ||
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