ノート:アイヌ
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[編集] 差別
差別に関する記述が「独自の研究」扱いでコメントアウトされましたが、ウミユスリカ氏の編集の時点ではまともな記述だったと思います。現在の版ではアイヌが先住民ではないかのような編集がされていますがまともとは思えません。johncapistrano 2006年1月3日 (火) 10:23 (UTC)
- しばらく放置している間に随分と記述の内容が変わったようですね。アイヌの先住性については広く認められていると思うので、冒頭記述に復活させました。差別については、アイヌ民族問題アイヌ民族差別などの別項目を作った方がよろしいのではないでしょうか。独立できるだけの研究や資料もあることと思います。--Snow steed 2006年1月3日 (火) 11:50 (UTC)
- なんとなく全体的に攻撃的というか、中立的とはいえない文章になっているようです。一部の語句があまりにも極端だと思って直そうとしたのですが、よく読めば全体が気になって、それでいて自分の知識では責任を持てる形での修正は難しいという、実にもどかしい状態にあります。本当なら自分で書きたいところですが、出来ればある程度知識のある方に、もうちょっと客観的な視点に立った記述に直して頂きたいと思うのですが。私は、とりあえず現時点では一部の表現の修正だけに留めておきます。ハイゼン 2006年3月30日 (木) 08:44 (UTC)
[編集] 本州のアイヌ(蝦夷)
以前青森県の歴史の本の中で、江戸時代の津軽藩の家臣乳井(にゅうい)某(乳井貢だったと思います)が、藩内の蝦夷の扱いを改善したという記述を読んだことがあります。また、アイヌ史の本で、江戸時代に下北半島の漁師に蝦夷服着用を禁じたという記述を目にしたことがあります。アイヌ(蝦夷)が本州にも居住していた証拠だと思いますが、残念ながら、どちらの文献も現在手元にありません。Nipisiquit 2006年7月11日 (火) 14:26 (UTC)
全然流れに関係しないんですけど、コタンの口笛への言及は必要ないですか?--Ks 2006年8月17日 (木) 17:08 (UTC)
確かに、本州北端にはアイヌが住んでいました。たしか『青森県の歴史』(山川出版社)にその記述があったと思います。駄言 2007年2月25日 (日) 22:52 (UTC)
津軽叢書、南部叢書を紐解けば記録はいくらでも出てきます。地元の市町村史の資料でも同様です。津軽アイヌについては若干の方がアイヌ人としての自覚を維持していて、サイモン・フレイザー大学で研究をしている田中桜子先生が津軽アイヌを自認されています。--210.164.1.71 2007年2月28日 (水) 06:49 (UTC)
本州アイヌについては、最近研究が進んでいる分野でもあり浪川健治氏などの研究があります。本州アイヌも含めてアイヌ民族の歴史について現代まで見通したと言う意味では最初の通史的著作、榎森進『アイヌ民族の歴史』草風館がだされました。千島・カラフトアイヌの歴史について、現在の研究が明らかにしていることは網羅的に記述されています。詳細なアイヌ民族史関連年表もあり、参考にされるといいと思われます。
[編集] 樺太アイヌ
>しかしながらアイヌは現在も樺太に少数ながら住んでいる。 との記述がありますが、樺太アイヌは本当に現存しているのですか?資料をお願いします。Roter Stern Leipzig ’99 e.V. 2006年9月17日 (日) 01:33 (UTC)
この件について、サハリン州政府に問い合わせたことがあります。 残念ながら樺太アイヌについては、現在サハリン州が統計を取っていないので分からなくなっているそうです。 逆に分かったら教えてくれと頼まれてしまいました。 ロシア政府とサハリン州政府はアイヌ人をサハリンと千島列島の先住民として公認してはいるのですが、研究者不足ですかね。2006年12月23日(土)21:32(UTC)
[編集] 推理小説の中のアイヌ民族
話は変りますが、西村京太郎作「殺人者はオーロラを見た」徳間書店刊はアイヌ民族について詳しく触れられているミステリー小説です。
[編集] 樺太アイヌがソ連に強制送還された?
「樺太のアイヌは第二次世界大戦後にその殆どが当地を占領したソビエト連邦政府によって北海道へ強制送還されたが、現在も樺太には少数ながら住んでいる。」と言う記述について。
私は、何度も旧島民の方とサハリンを訪問していますが、これまで旧島民の方からソ連軍によって強制送還されたということを一度も聞いたことがありません。
また、先日、北海道が編纂した資料を読んでいたら、ソ連は占領後も住民を居住させ続けようとしていたので占領政策に不安を感じた日本国民の側から北海道への移送を要請してソ連軍がそれに応えたことになっていました。
強制送還だったと言う出典は何なのでしょうか?
[編集] 旗
英語版にアイヌの旗なるものが掲載されています。--61.25.249.118 2006年11月16日 (木) 01:47 (UTC)
- 1973年に砂澤ビッキ氏がデザインしたアイヌ民族旗ですね。--Snow steed 2006年11月16日 (木) 08:36 (UTC)