エミール・ハーハ
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エミール・ハーハ(Emil Hácha, 1872年7月12日 - 1945年6月26日)は、チェコスロバキアの法律家であり、政治家。
ベネシュがミュンヘン協定を受け、大統領を辞任した後、保守的な立場と親ドイツ的な立場から後継大統領に指名された。しかし1939年3月にナチス・ドイツはチェコ・スロバキアのボヘミアとモラビアの割譲を要求し、署名を余儀なくされた。このとき、ハーハはヒトラーらドイツ側のあまりの恫喝ぶりに心臓発作を起こしている。
チェコスロバキアの解体後、ボヘミア・モラビア保護領の大統領(チェコ語:státní prezident、独:Staatspräsident)の地位に留まることはできたが、1939年11月にはアドルフ・ヒトラーとボヘミア・モラビアの総督コンスタンティン・フォン・ノイラートへの忠誠を誓わされたほか、ハーハの閣僚らは逮捕され、ナチス・ドイツの傀儡と化し、ナチス・ドイツへの協力がない限り、チェコスロバキアを守れないと感じるようになった。
しかし、ナチス・ドイツが第二次世界大戦に敗北すると、ハーハは国家反逆罪で逮捕され1945年6月26日に獄中でこの世を去った。
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カテゴリ: チェコスロバキアの政治家 | 1872年生 | 1945年没