オスカル・スタルク
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オスカル・スタルク(Оскар Викторович Старк;1846年8月16日 - 1928年11月13日)は、帝政ロシアの軍人。海軍大将。日露戦争開戦当時のロシア太平洋艦隊司令官。ステパン・マカロフと交代させられた。
- 1864年 - 海軍幼年団卒業。
- 1874年~1877年 - スクーナー「ヴォストーク」艦長
- 1878年~1886年 - 砲艦「ゴルノスタイ」艦長
- 1886年~1889年 - 砲艦「シヴチ」艦長
- 1891年~1892年 - 巡洋艦「ウラジーミル・モノマフ」艦長
- 1893年~1896年 - 沿岸防衛戦艦「ペレヴェーネツ」艦長
- 1898年4月~1902年10月 - 太平洋戦隊下級司令。1898年5月から旅順港司令を兼任
- 1902年10月 - 太平洋戦隊長
- 1902年12月 - 中将に昇進
- 1904年2月7日 - E.アレクセーエフの命令により、太平洋艦隊司令官に任命。
- 1904年2月24日 - 太平洋艦隊司令官職をステパン・マカロフと交代
- 1905年4月17日 - バルト海先任司令に任命
- 1908年1月 - オブホフ製鋼所・イジョルスク工場理事長
- 1908年10月 - 海軍大将の階級で退役
- 1928年11月 - 移民先のヘルシンキフォルスで死去
1904年3月29日に二等聖ウラジーミル勲章を受章。