ノート:カール・バルト
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現代における代表的神学者。1934年バルメン宣言の起草者。 ベルン、ベルリン、テュービンゲン、マールブルグの諸大学に学び、ジュネーヴの改革派教会副牧師、ミュンスター大学、ボン大学教授などを経て、ナチスの国家主義に対抗したために、地元スイスのバーゼル大学に移る。新プロテスタント主義から神学的影響を受け、新カント学派から哲学的影響を受ける。牧会に従事しながら聖書の中に証されている言葉を、具体的な人間に対して神の言葉として聞かせるべき、牧師の説教の課題として注釈と宣教の革新が必要であるとした。特に、シュライエルマハーによって基礎が据えられリッチェルによって修正され、ハルナックの時代にトレルチによってその頂点に達した文化プロテスタント主義は、彼によって激烈な攻撃を受ける。また、人間学に転嫁してしまった神学の失われたテーマを回復しようとした。「言における神の啓示」を主張した。その神学は彼の著書「ローマ書講義」や「福音主義神学」「教会教義学」という膨大ないまだ未完の著書において記されている。彼の思想の変遷を表す著書として<ローマ書>において神という一般的抽象的言葉を用いたのに反して、後に倫理問題を扱うに従って神よりもイエス・キリストという言葉を多く用いるようになり、キリスト論に彼の神学が集中していった。彼は教父たちから今までの神学思想全体を引き合いに出しつつ、それを革命的なまでに新しく、体系立てた。またエミール・ブルンナーとの自然神学論争において人間にはもはや「神の像」なしと主張した。バルトに従えば神の律法は福音からして認識される。律法と福音ではなく福音と律法という順序を主張した。