クァエストル
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クァエストルは、共和政ローマにおける公職の一つであり、執政官の下僚。国家財政の監督、国庫の管理を職務としていた。日本語では一般的に「財務官」と訳される。
王政期にも似たような名前をもった公職は存在したと考えられるが、共和政下で整備された時期は、パトリキとプレブスの身分闘争が一旦終息し、ローマが対外進出を開始した紀元前5世紀後半である。毎年4人のクァエストルが民会(トリブス会、後にケントゥリア会)で選出された。職務権限は限定されていた。
クァエストルは、インペリウム保持者の下僚として対外戦争の大規模化・長期化や領土拡大とそれに伴う国家機構の改革を契機として何度か増員されている。イタリア半島の統一を目前にした紀元前267年には10人に増員された。彼らの職務範囲も広げられ、ローマなどの特定の都市の担当、属州総督や政務官の下に配置される者、また軍や軍事行動の財政を担当する者などに分けられた。各属州には総督の下に1名ずつ配属されたが、重要な属州であるシチリアの場合のみ東と西で計2名配属された。
紀元前81年に元老院の権限の強化を目的としたスッラの改革の一環として、クァエストルに就任できる者の年齢制限が設けられ、パトリキは28才以上、プレブスは30才以上とされた。また人数も20人に増やされ、クァエストルに選出された者は自動的に元老院議員となることも規定された。元老院議員が担当する公職のランクとしては一番最下位という位置付けであった。