ジャッジ金子
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ジャッジ金子(じゃっじかねこ、1973年1月12日 - 、東京都昭島市出身)は、ジャッジサポート所属のレフェリーである。
1993年にSPWFへスタッフとして参加。当初はリングアナウンサーを希望していたが、代表の谷津嘉章からの提案もあって、レフェリーとなる。
レフェリングデビューは1994年2月26日、SPWFの神奈川・いすゞ自動車大和工場体育館で行なわれたホッパーキング 対 デビルホッパー戦。
これまでの所属団体歴は、、SPWF(1994年)−レッスル夢ファクトリー(1995年)−SPWF(1995〜1998年)−DDTプロレスリング(1998〜2003年)-フリー(2003年)。
現在は大阪プロレス 、NEO女子プロレス、大仁田厚プロレス興行、ビッグマウスラウドなど、各プロレス団体のレフェリーも務める傍ら、プロレス&格闘技のイベント制作会社ジャッジサポート(新宿区歌舞伎町と渋谷区神宮前に事務所)代表取締役としての顔を持っている。
氣志團、マキシマムザホルモンの熱狂的なファンとしても知られ、全国ツアーの追っかけまでしている。
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[編集] レフェリングスタイル
キャット・ファイトなどのエンタメ系からストロングスタイルまで、男女・団体問わず公正・無比なレフェリングに定評がある。
レスラーの高野拳磁が「(和田)京平さんの次に、試合がしやすいレフェリー」と評価したこともある。
[編集] レフェリー以外の活動
ジャッジサポートとしてはWWE、AAA、UWAI STATION、GCMコンテンターズ、ZST、MARS、J-NETWORKキックボクシング、IKUSA、RISE、西口プロレスなど数々のプロレス・格闘技イベント・興行を、リングレンタル業を中心に、企画立案から大会運営・進行ディレクションまで幅広く関わっている。
プロレス&格闘技会場の新宿歌舞伎町新宿FACE並びに、渋谷区道玄坂の人気クラブ5店舗、club ATOM、 club asia、LOUNGE NEO、渋谷clubasia P、VUENOS TOKYOの管理業務、代理店業務を手掛けている。
ジャッジ金子個人としては、千葉WALKER等の人気雑誌でモデルを務めるほか、バラエティ番組のめちゃ×2イケてるッ! 、ヤミツキ、ロンブー龍、深夜ドラマの渋谷系女子プロレス、J-POP アーティスト、ジュエミリアのPV、リセットに演技指導担当、並びにレフェリー役として出演した。
さらに2003年4月から、シティテレビ中野のプロレス情報番組『ゴー!ゴー!!バトル塾』において、メインキャスターとして番組開始から終了するまでの2年半の間、レギュラー出演した。
[編集] 出版物
- 「弾むリング」(北島行徳・著/文芸春秋)※ジャッジ金子を取り上げたノンフィクション小説。
- 「ただノリJAPAN」(英和出版社)※ジャッジ金子が、お見合いパブ評論家として登場しているムック。
- 「実話VAMP!」(晋遊舎)※ジャッジ金子が、パチンココラムを連載していた雑誌。
[編集] 関連項目
- DDTプロレスリング ※以前に取締役を務めていた。
- ジャッジサポート
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