ジョン・ウィクリフ
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ジョン・ウィクリフ(John Wycliffe 1320頃 - 1384年)イギリスのヨークシャーに生まれる、宗教改革の先駆者とされる。
オックスフォード大学の教授であり、聖職者であった彼は、カトリックの教義は聖書から離れている、ミサにおいてパンとワインがキリストの本物の肉と血に変じるという説(化体説)は誤りである等、当時英国において絶対的権力を持っていたカトリック教会を真っ向から批判した。英国王は自国語の聖書を持たないのに王妃はチェコ語の聖書を自由に読むことが出来ることに矛盾を感じており、晩年になって司祭をしていたラタワースに戻り聖書を英語に翻訳した。信徒の霊的糧である聖書とそれに基礎をおく説教を重要視し、翻訳した聖書を持った牧者達を地方に派遣した。彼の思想はボヘミアのヤン・フス、また100年後の宗教改革にも大きな影響を与えた。
ウィクリフが訳した聖書の序文にはエイブラハム・リンカーンが引用した有名な言葉
「This Bible is for the government of the people, by the people, and for the people」
(「この聖書は人民の、人民による、人民のための統治に資するものである」)がある。
彼の死後30年ほども経ってのち、1414年のコンスタンツ公会議で異端と宣告され、遺体は掘り起こされ著書と共に焼かれたのち川に投じられた。
[編集] 主な著書
「聖界領主論」「俗界領主論」「聖体論」