ノート:ゾロアスター教
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記事名ですが、僕は記事名の変更には関わっておらないので、異存ないです。 もともと、ゾロアスター教の記事名がある時期に、マズダ教に移動されたことを記憶しています。 ウェブを見てみると、マズダー教としている場所もあるようですが、はっきりとした理由は分からないのでそのままにしていました。詳しい事情は知らないですが、現地でも意味が「ゾロアスターの宗教」なら問題ないでしょう。ザラスシュトラ教とするわけにもいかないでしょう。
リンク元についても、マズダ教と突然書いてもピンと来ない人がほとんどだろうと思っていました。それで マズダ教(ゾロアスター教) と書いていたのですが、ちょっとめんどくさいなとも感じていました。
場所は記憶してないですが、ミトラ教 -> マズダ教 -> ゾロアスター教 と、変化したと書いている所もありました。
これは、もしかしたら、ミトラ教 -> ミトラ教マズダー派 -> ゾロアスター教 となったのかも知れないとも思っていますが、そのように書いてある場所はまだ見つけてません。
また、現在ゾロアスター教徒が一番多いインドでは、「パルシー」です。彼らも自分を「パルシー」と英語の会話の中では呼んでいました。二人知っていたのですが、今は近くにいないので聞けないです。この二人がやっぱりお金持ちで、ムンバイに会社をいくつか持っていて、自分は高原の別荘でほとんど遊んで暮らしているように見えましたが…。タタ財閥がパルシーの一枚岩の財閥とも聞いて、パルシーのネットワークってあるのかしら?とちょっと興味があります。
まあ、イスラムの勢力が広まった時に、当時(って7世紀ですよね?)、お金持ちだった人達だけがインドに逃げ込んで宗教を守ってそのときから財産を減らさないように、増やしながら今まで地位を保って来たのかなあとか、興味シンシンです。タタ財閥はインド独立の時に成功したらしいですが、はじめの時点である程度の蓄えがなかったら他の勢力と対抗できたわけもないとは思います。すくなくともパルシーのネットワークがなかったらヒンドゥー勢力から独立した地位を保つことは出来なかったでしょう。これはあくまで個人的な予想なのでここに書いておきます。
--Setu 18:14 2003年7月5日 (UTC)
Peehyoro Acalaでございます。
「パールシー」というのは、確かペルシャ人という意味だそうです。 イランから亡命してきたゾロアスター教徒だから「ペルシャ人」なんでしょうね。
アフラ・マズターは、インド・イラン共通時代にまでさかのぼる古い神格だそうです。 だから、ザラスシュトラの改革以前または別の場所、別の教団でアフラ・マズダーを崇める 派があったかもしれないと思っています。
もしそういうのがあったなら、マズダ教という名称は、そちらに「とっておく」のがよさそうな気がします。
Peehyoro Acala 08:32 2003年7月6日 (UTC)
カナダでゾロアスター信者に会ったことがあるから、トロントだけでなく広く伝えられているようです。ちなみにイラン人でした。
booze 13:58 2003年7月15日 (UTC)
- 詳細は分かりませんが、イランにゾロアスター教が残っていると聞きました。どこに、どのくらいいて、どのようにしてイスラム教への改宗を免れたかなどは分かりません。もしかしたら、そのようなイラン人のかたが、カナダに移住したのかも知れませんね。「イラン人でした」との事ですが、いつ頃までイランにいたとかは分かりますか? はるか昔か、数年前かとか。
- パルシーの方にうかがった話では、トロントにある程度のゾロアスター教徒がいてコミュニティを作っている。との事でした。どういうゾロアスター教徒なのかは知らないそうです。
- パルシーの方が英語で話すときは、ゾロアスタリアンとゾロアスター教徒を呼んでいるので、記事名はゾロアスター教で構わないと思います。
- あと、イランからインドへの移住が1100年との事で、イスラム教が広まってから400年以上イランにいたことになるのも、不思議な感じがしました。一気に改宗させられたのかと思っていまいした。
- --Setu 16:37 2003年7月15日 (UTC)
[編集] 本文について
不正確な記述をコメント・アウトさせて戴きます。元に戻されるのも買いませんが、学問的に根拠を明示して戴きたく思います。最初の歴史説明において、外部リンクとして、ミトラ教 をあげておられますが、このページの記述内容は、歴史的・学問的に、かなりナンセンスなところがあります。このような記述を元に、ゾロアスター教の歴史解説をするというのは、たいへん危ういことです。宜しくご了承願います。Maris stella 2005年8月17日 (水) 15:02 (UTC)
- あとで戻しますがゾロアスター教を現代ペルシア語でディーネ・ザルドゥストないしディーネ・ザルドゥシュトدین زردشتという点は本当です。スタインガス、モイーン、さらに念のためロガットナーメも見たのでほぼ間違いありません。えと。やはり書誌必要ですか?Kotoito 2005年8月19日 (金) 00:06 (UTC)
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- 現代での呼称部分については、今日、色々な部分を削除しましたが、コメントアウトとして残しています。これは、どこか適切な場所に入れるためです。イランではほぼ消えてしまったゾロアスター教を、現代ペルシア語で表現することにどういう意味があるかという疑問のためです。ゾロアスター教が、記事項目として持つ重要性は、その歴史的な役割にあり、現在残っているインドとイランの少数のゾロアスター教の共同体の信仰は、あまり重要ではないのです。ゾロアスター教というよく分からないがしかし、歴史的に非常に大きな意味を持っていた宗教の教えを研究するため、現代に継承された信仰の研究やそれに対する言及も重要ですが、バランスの問題があります。せめて「中世ペルシア語表記」であれば、最初の見出しの後ろに入れるのですが、現代ペルシア語表記には疑問があるということです。なお、書誌は当然必要ではありませんか。従って、「戻す」というのは構いませんが、どういう形でということは重要だと思います。戻してもらうと困るのは、「古代ミトラ教」とか、誰がそういうことを言っているのか、学問的に根拠不明な部分です。現代ペルシア語の表記は、イランのゾロアスター教か、インドのゾロアスター教の節に入れるのが適切かも知れません。(ゾロアスター教については、分からないことが多すぎるのです)。Maris stella 2005年8月19日 (金) 00:50 (UTC)
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- 「イランではほぼ消えてしまったゾロアスター教を、現代ペルシア語で表現することにどういう意味があるかという疑問のためです。」
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- なるほど。おおむね諒解いたしました。いえ「現代ペルシア語で……という」という部分が根拠なし、とおっしゃっているのかと思ったのです。ミトラ教云々が根拠不明とか冒頭見出しにペルシア語発音必要なしというご意見に関しては同様に考えます。また全体のバランスの中で現代のゾロアスター教徒についても、近年の歴史学の近現代重視の趨勢をあわせて考えても必要なのはせいぜいが1/5程度が妥当かという印象です。インド・パキスタンのパールスィーについては歴史的な観点より、現代の社会・経済の観点から無視できない影響力を持っていますので、本項とは相性が悪そうです。ここに書いてあったのはインドにおけるゾロアスター教の歴史というより、どちらかというとコミュニティとしてのパールスィーの歴史のようですから分割してしまったほうがよさそうですね。Kotoito 2005年8月19日 (金) 04:05 (UTC)
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私的な意見ですが、ゾロアスター教は鳥葬が習慣だったと聞いたことがあります。記憶に自信がなくてすみません。鳥葬とは死体を鳥に食べさせる埋葬の仕方で、鳥に罪を食べさせるという意味合いがあったそうです。
鳥葬の風習の理由は、穢れた死体を大地に戻したり神聖な火で焼くことはできないためと聞きました。--Ytakashi 2006年11月25日 (土) 14:43 (UTC)
「日本」の節の最期の一文の意味がわからないのですが・・・ --mshin 2006年11月30日 (木) 17:44 (UTC)