テオドラ・アンゲリナ
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テオドラ・アンゲリナ (Theodora Angelina,生没年不詳)は、バーベンベルク家のオーストリア公レオポルト6世の妻。
イサキオス・コムネノス(皇帝マヌエル1世コムネノスの甥の子)と皇女アンナ・アンゲリナ(ビザンティン皇帝アレクシオス3世アンゲロスの子)の唯一の子。1197年、ワラキア=ブルガリア帝国2代目皇帝イヴァンコ(イヴァン・アセン1世を殺して即位)と結婚。ビザンティンに恭順の意を表明し、アレクシオスの名まで賜っていたイヴァンコは1198年にすぐさま反旗を翻し、父イサキオスは、夫の属するワラキア・ブルガリアの捕虜となって死んだ。将軍マヌエル・ヴァタツェスは彼を捕らえ、テオドラは夫と離婚した。
1200年頃、彼女はワラキア=ブルガリアの指導者であるドブロミル(将軍マヌエルの義理の息子)の三人目の妻となっていた。
のち、第4回十字軍のもたらしたビザンティン帝国の崩壊のさなか、テオドラはレオポルト6世と結婚した。二人には7子が生まれた。