テリー・ブロス
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テリー・ブロス(Terry Bross , 1966年3月30日 - )は元プロ野球選手。日本では1995年~1997年にヤクルトスワローズ、1998年~1999年に西武ライオンズに在籍。ポジションは投手。引退後は実業家。
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[編集] 来歴・人物
入団時に年俸4000万円と聞いて「そんなにもらえるのか」と驚いたというほど当時にしては珍しいハングリー精神の持ち主であった。来日1年目は、長身から投げ下ろす速球と親指と人差し指ではさむ独特のフォークボールを武器に14勝を挙げ、最優秀防御率に輝いた。この年、前評判の悪かったヤクルトを日本一に導く原動力となる。
だが2年目以降は、上から投げ下ろす投球フォームゆえにモーションを盗まれることが多く、打球処理が苦手という弱点を突かれるようになり、故障の影響も響き成績は低迷した。ヤクルト時代、ベンチから敬遠の指示を受けたが「自信がない」と敬遠を拒否したのは有名。
また、ヤクルト時代に読売ジャイアンツ戦(1995年9月9日)でノーヒットノーランを達成し、これが原因で巨人の自力優勝が消滅したというエピソードがある。
[編集] 略歴
- 身長・体重 2m05cm、102kg
- 投打 右/右
- 出身地 アメリカ合衆国・テキサス州
- 球歴・入団経緯 セントジョーンズ大 - ニューヨーク・メッツ - サンディエゴ・パドレス - サンフランシスコ・ジャイアンツ - シカゴ・ホワイトソックス - ヤクルトスワローズ(1995年~1997年) - 西武ライオンズ(1998年~1999年)
[編集] 通算成績
[編集] タイトル・表彰・記録
[編集] 背番号
- 24(1995年入団当時。3月に吉井理人がトレードで入団し24を着けた為29に変更)
- 29(1995年~1997年)
- 33(1998年~1999年)