デイヴ・ヒルトン
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デイヴ・ヒルトン(デイブ・ヒルトン,デーブ・ヒルトン,Dave Hilton)(1950年9月15日ー)は、プロ野球選手で、内野手。米国人。
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[編集] 来歴・人物
1978年にテストでヤクルトスワローズに入団。この年からスタートしたユマの春季キャンプで合格してであった。攻撃的1番打者として首位打者を争うほど、非常に高い打率を残しヤクルトスワローズの日本一に貢献。
広岡達朗監督の解任により就任した武上四郎監督がトレード要員としたが、話がまとまらず自由契約の形で阪神タイガースに移籍。ドン・ブレイザー監督はセカンドでヒルトンを使ったが、成績が低迷するとセカンドへコンバートされた「ドラフト1位入団の岡田彰布を使え」とファンの大合唱や脅迫などの暴挙を浴びた。また、打席に立つたび、阪神ファンに岡田コールを浴びせられるという嫌がらせを受けており(ロバート・ホワイティング『和をもって日本となす』)、この状況では低迷もやむを得なかったといえる。結果ヒルトンはシーズン途中に解雇、ブレイザー監督も解任された。
打撃スタイルは、クラウチング・スタイル。背中を屈めて、ストライクゾーンを狭くした。
打球は一二塁間や三遊間を抜くゴロが多く、クリーン・ヒットは少なかった。
これらのことから、数字ほどには成績は評価されず、ファンの印象もあまり良くなかった。とはいえ、バットのコントロールが巧みだったと言えるので、玄人受けするタイプかもしれない。大砲の多い外人選手のなかでは、際立った特徴をもつ選手と言える。同じスタイルの選手は、日本人選手を含めてもその後も現れていない。
(イチローは、内野手に取られる内野安打が多かった。篠塚和典は、内野手の頭を越える流し打ちが多かった。ゴロで内野手の間を抜くヒルトンとは違う。)
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1978年 | ヤクルト | 128 | 501 | 76 | 159 | 37 | 1 | 19 | 76 | 6 | 6 | 6 | 55 | 75 | .317(8) |
1979年 | ヤクルト | 105 | 399 | 59 | 103 | 14 | 3 | 19 | 48 | 1 | 5 | 2 | 26 | 65 | .258(29) |
1980年 | 阪神 | 18 | 71 | 8 | 14 | 1 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 12 | .197 |
通算成績 | --- | 251 | 971 | 143 | 276 | 52 | 5 | 38 | 128 | 7 | 11 | 8 | 85 | 152 | .284 |