トリブヌス・ミリトゥム・コンスラリ・ポテスタテ
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トゥリブニ・ミリトゥム・コンスラリ・ポテスタテ(Tribuni militum consulari potestate)とは共和政ローマにてパトリキとプレブスの確執が表面化してきた時期に創設された官職。最初に紀元前444年のみ、そして紀元前408年〜紀元前394年、そして紀元前391年〜紀元前367年の間の一時期に半ば暫定的な職務として創設された。共和政ローマの発展過程で創設された職務のためか「執政官権限の軍事担当官」、「執政武官」、「執政官格軍司令官」と日本語の訳語が一定したものはない。
この職務が作られた目的とは当時抗争激しかった既存権力であるパトリキと新興勢力のプレブスの対立を緩和する目的で作られた。従来のコンスル職そのものを変革する事なく空席とし、新しいこの官職を作り、コンスルと入れ替える事でプレブスの者が高位の職務に当選する事も可能とした。
コンスルは従来通り定員2人であったが、トゥリブニ・ミリトゥム・コンスラリ・ポテスタテは年度によって定員数が変わり、プレブス、パトリキの争いに応じて2人から6人となった。
紀元前366年にリキニウス・セクスティウス法が公布、これによりプレブス階級の者でもコンスル職に就任する事は可能となり、トゥリブニ・ミリトゥム・コンスラリ・ポテスタテの役割は終わった。