ノク文化
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ノク(Nok)文化は、ギニア湾岸(上ギニア)のナイジェリア中央部、ジョス高原(Jos plateau)を中心に概ね紀元前5世紀から紀元後2世紀頃に栄えた初期鉄器文化。
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[編集] 発見
1928年に、イギリスの鉱山技師のJ. Dent Youngによって、錫露天掘り鉱山とその周辺に広がる河川礫層の採掘作業中にサルの頭の横顔の形をした土偶の破片が偶然発見されたことが契機となった。1943年に、ナイジェリア地理学調査局(Geological Survey of Nigeria)の報告が、イギリス人考古学者バーナード=ファッグ(Bernard Fagg)にもたらされて以降、これらの土偶の観察や収集を行ってひとつの文化的伝統を構成すると考えたファッグは、鉱山の近くにあったカドルナ州ノク村の名前にちなんでこれをノク文化と名づけた。
[編集] 土偶
これらの土偶の種類は人物の頭部、全身像、象、蛇、サルなどの動物や家畜などがあるが完全なものはなく、おそらく呪術的な儀礼の際に破壊されたと考えられている。図像的特徴は、逆三角形ないしは半円形に沈線で縁取られた大きな目で円形の穴を開けて瞳にしている。人物像については、その風貌はネグロイドで髪型もいろいろな種類が見られる。また斧を担いだ人物像や、ビーズやペンダント、ブレスレッド、なかには、耳や唇にまでアクセサリー類をつけた人物像まであり、当時の風俗を知るうえで貴重な資料となっている。
[編集] 溶鉱炉
当初は、攪乱中の遺物しかなく、年代は不明であったが、タルガ(Taruga)とサムンドゥキヤ(Sumun Dukiya)の調査で、ノク時代のものである居住層が確認された。放射性炭素年代測定が行われ、この居住層の年代は、紀元前5世紀から同3世紀のものであるという測定値が出された。この居住層からは、典型的なノクの土偶と共伴して当時の土器とノク人が鉄の生産を行っていたことを示す溶鉱炉跡の遺構が検出された。炉は、深さ50~60cmくらいほど、直径1mほどの穴を掘り下げ、粘土壁を筒状に人間の背の高さくらいに作って、地表面と粘土壁の付け根部分にふいごをつけたものである。主な鉄製品としては矢と槍先に着ける刃物や尖頭器があるが、腕輪も製作することがあったようである。ノクの鉄器の鋳造は、アフリカの他の地域と比較しても最古の部類に属すると考えられている。
[編集] 年代
最近は、ノク文化の開始については、紀元前900年ごろまでさかのぼる一方、熱ルミネッセンス法によって、紀元後6世紀の作という測定結果の出た土偶もあり、その終末については、かなり遅れるのでは、と考えられはじめている。
[編集] 影響
また、1998年サザビー社のアフリカ、オセアニア、アメリカ先住民美術部長でマリの土偶研究の第一人者として知られるBernard De Grunneは、これまで、ナイジェリアのイフェ文化へ継承されるとされてきた、ノクのテラコッタについて、中南部アフリカのバンツー文化の彫刻に与えた影響についてまで論じる研究を行っている。
[編集] 参考文献
- Fagg,Bernard 1977
- Nok Teracottas,Ethnographica for the National Museum,Lagos
- フィリップソン/河合信和訳『アフリカ考古学』学生社,1987年(原著;Phillipson,D.W.1985African Archaeology,Cambridge University Press)